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とてもかなわない
栃折久美子
よく雑采やさんなどで自家製というのがありますが本については圧倒的に大量生産が主流でしょう、自費出版もありますがその変形のようですし、自分で書き製本する私製の本づくりはパソコンが普及した今なら可能だと思いますが少量に限られます。100部とか200部くらいの数量で手軽にできて経費もかからなければと思いますが問題はやはり糸かがりになるのでしょうか、そこにこだわると機械(従って製本所)でなければとても作れない。部数を増やして無線綴じを選ぶか一点だけ手作りを楽しむ、あるいはこの一冊だけプロの装丁家に頼むか、の選択になりそうですね。この先自分で本を作りたい人も増えてくるのでしょうがネックは装丁、つまりは製本ではないか(簡易な製本セットもあるようです)。その前に編集作業もありますが。
〈オンデマンド出版も製本はノリづけになるようです。ワードで自家製の個人史や本作り、さらには自費出版にいたるまでいくつかの案内書をひもといてみたけれど糸でかがる製本の問題はスッポリぬけ落ちている。こんなものなのでしょうか。〉

栃折がいう「本」の造作とは何か、について基本をまとめておきたい。 『ワープロで私家版づくり「編集・印刷から製本まで」』(創和出版)の「本づくりの基礎」の冒頭から引用してみよう、便宜上二つに分けた。

「重ねた何枚かの紙を二つ折りにし、折り目を糸で縫う、これが本の原型」。

「丈夫ですし、ノドまでよく開きますし、糸が切れたりして壊れたら、もとどおりに直せます。」

この本は、あとがき、にも書いてあるように栃折がワープロで打った本文をそのまま版下にしたもので、ちょっとビックリします。そんな感じは全くない。もっと厚いと思っていたのに110ページの角背の本、しかし見返しまで糸でかがってあります。
〈見返しについては「表紙を開いたところにある紙。片側は表紙裏にノリづけされています。表紙と中身をつなぐ大切な役目を持ったもの」。〉
しかし、この見返しにも量産本の場合は、問題があるという。ノリでくっつけてしまうだけだから中身を持ちこたえることができないという弱点。
本というものは紙を折り束ねて糸でとじたものを指す、これが基本だ。 
同じタイプの本と比べるとその丈夫さが、そしてノドまで開き読みやすいことにすぐ気づきます。 「自分史を出されても、それはちゃんと糸でかがった本なのか」と問いかけています、簡単で楽しいから自分でやってみなさい、と。
挑発的私家版技法論ですね。 ぼくも栃折をとりあげた以上おすすめに従わないわけにはいかない、「簡単」ということばに疑問は持ちますが、さらに挑戦してみよう。
それにしても栃折の世界に限らず、今あるものの根本を見つめようとする問いかけが少なくなってきてはいないだろうか。ハウ・トゥばかりに光があてられ見た目にセンスの良いものや機能と成果ばかりがもてはやされて却ってエッセンスが覆い隠されてしまうということはないのだろうか。
これはぼくのボヤキにも似たつぶやきなのですが。