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もう一人繰り返し読んでしまう作品に倉本聰『前略おふくろ様』(理論社)がある、全4巻のシナリオ集だが読みだしたら止まらない。 主人公である板前のサブちゃんが20代も終わりに近づいた頃、母と死別して深川の料亭から故郷へ帰り〈完〉となるのだがぼく自身の若かりし頃とダブってホロリとさせられる。 みんながやさしい、小さなことでクヨクヨしたり大騒ぎしたり「あれ面白いよな」と街のあんちゃんも毎週見ていたテレビドラマ。70年代はテレビドラマの宝庫だという中野翠(『あんまりな』毎日新聞社)の指摘は本当かもしれない。

「ロマンチックじゃない人間なンて―どういうか― 人として―信用がならないンんだよナ」     
『前略おふくろ様』partU―2 むの章

時にポツンとこんな話をする "矛盾の海ちゃん" をはじめ半妻さん、秀さん、利夫さん、政吉、かすみちゃん、タヌコ、分田上と川波のおかみさんそしてそして……誰もが懐かしい。リアルタイムで見ていたせいか一人ひとりが心に住みついてきて同じ住人のよう。セリフが実に効いていて自分勝手でズルくて見栄っぱりで、「分かんないスよ」と分からない自分に腹がたち、いろいろあるけれど人間くさくて可愛くてどこかズッコけるおかしさ。あっちへ行ったり転がったりのニンゲンをある高みに立たないで寄り添う、そのなかに思いのたけを埋め込むような独白がジワッと効いていました。、おふくろにも青春があった、というシーンなんてシュンとさせます。
シナリオ集の第4巻に倉本聰が田中絹代の思い出を綴った文章が収録されていて、圧倒されます。もうひとつの「前略おふくろ様」。
〈「追伸おふくろ様 私の中の田中絹代さん」として『さらば、テレビジョン』(*冬樹社 理論社)を転載したもの。〉
「前略おふくろ様」の放送は次の通り。
昭和50(1975)年10月に第1回が放送される(翌年の3月で第1部終了)。 昭和51(1976)年10月に第2部が始まり翌年(昭和52年)の3月にエンドマークとなる。 制作は日本テレビ。なお「6羽のかもめ」は昭和49(1974)年10月からフジテレビで放送されたという。

青春遍歴のドラマだというのは確かにそうなんだろうけれど振り返ってみると不思議な世界でした。 喜劇でありながら哀しく、青春と老人問題が重なり、板前サブちゃんを軸にしていながら集団というか登場人物のすべての個性が鮮明な印象を投げかけてくる。そして、舞台は深川だが高速道路の建設のために料亭の立ち退きという背景がある(これは第一部の話)。ぼくにとっては永遠の ] を秘めたドラマなのである。青春との決別というと構えすぎですが〈さらば青春〉なんですね。 それにしても室田や川谷も鬼籍にはいっているなんて寂しいかぎり。ぼくの実感として次から次へ訃報を聞くたびに昭和が遠ざかっていきます。
〈田中絹代といえば新藤兼人『小説田中絹代』(*文春文庫)も面白いですよ。〉

「七人の侍」で野武士が近づいてきたとき猛然と走る勘兵衛たちの姿を捉えたショットを見るたびにジーンとくるのは、〈今はもう誰も(生きて)いない〉という想いがよぎるからで、実年齢はともかく若かったんですね、頑張ったんだ、みんな。最高の演技をみせてくれました。今見返すとラストの土饅頭のお墓がこの映画を作った人たちの想いを偲ばせ何ともいえない、(見た当時はそんなこと考えもしなかったのにね)、脱帽。
〈『七人の侍』のしごと(廣澤栄『日本映画の時代』所収 岩波書店)に「本物」を作ったスタッフの誇らかな想いが語られている。加東大介の「なんだかまた一年兵隊に行ったような気分でした」ということばがおかしい。〉
「七人の侍」は昭和29(1954)年封切り、黒澤44歳だった。
リアルタイムで見ているわけではないのですが、もう、(というべきだろう)50年前の作品なんですね。

とてもかなわない
倉本聰の「前略おふくろ様」

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