「6羽のかもめ」「前略おふくろ様」がどのような状況で書かれたドラマだったかは『愚者の旅 わがドラマ放浪』(倉本聰 理論社)に詳しく綴られている。
「さらばテレビジョン」(「6羽のかもめ」最終回)のたたきつけるような迫 力、「前略おふくろ様」の老い去らばえていくなかでも消えることがない青春の断片。シナリオが感動や怒り、胸につまってくる一瞬を切り取り「狂うこと」でドラマが創造されるものだということ。「具体的観客」をみつめること。倉本独特のセリフ回しの背景が強烈です。激しいものが込められている本です。
〈特に5を参照。いったいあのセリフの味わいの深さはどこからくるのかというぼくの疑問はこの著書で少しは分かったように思う。ひとり置いての場面(「6羽のかもめ」)が実体験だったように、胸の奥深くに沈みツキささったもののタメがあるのですね。なお、どうしたわけかこの本には目次がない、何かの手違いなのでしょう。〉
〈追記 『北の人名録』(倉本聰 新潮社)に「さらば、リンさん」があることを遅まきながら知った。奥付には昭和57年3月発行とある。読むつもりが読んだ、にすりかわりやっぱり読んでなかったことに気づいて悔やむことがあるが本の存在を知っていながらのウッカリだから始末に終えない。20年以上も読んだつもりで過ごしてしまったことになる。しかし、気になっていたことを確認してみてよかった。 同書の「夢か」にも山本麟一登場(執筆の時期はこのタイトルのほうが早い)。ラジオでの話題もいくつか綴られています。『愛すべきガキ大将』以前のエピソードも凄いものがあります。 それにしても吠えていた犬がリンさんが来るとおびえたという場面(ラジオで聞きながらマサカと思っていたのですが)、本当だったんですね。恐れ入りました。〉

冒頭ちかくの「矛盾」の話にもどり少しだけ思うことを書き足しておきたい。
「前略おふくろ様」はここぞというところでしみじみと、せつせつと独特のリズムでドラマが進行していくけれど何よりも喜劇調でオカシイところがいい。
ぼくがズッコケといったのは例えば川谷演じるところの利夫さんが嬉しいときにやたらと明るく、態度がでかくなって調子にのる、落ち込んでくるときの落差がそれだけに激しく笑ってしまうからだ。ハニカミながら「くっ、くっ、くっ」と笑う川谷、「ケンカがしてえなァ」といらいらする利夫さん。いまでも瞼にやきついている。
自分の結婚式をぬけだし黙々とパチンコの玉を弾く半妻さん。青春は矛盾していていいんだという海ちゃん。
まさに「狂う」、はみだしてしまうおかしさ。彷彿とさせるシーンが一杯ありました。 弱くて強い、もろいようでしぶとい、分かっているようで分かっていない、純粋だと思ったら結構ズルくて計算高く自己嫌悪に陥る。言ったのに聞いていないの返答、何でそんな噂がたつの? という不思議、群れを嫌いながら群れから除外されたくなく、これら無数のやりとりの振幅ですね、ヒトとヒトの間に潜むものといったらよいのか。
笑いながらシンミリしながらこのドラマから人波にもまれて生きるのも、またそのなかで変わっていくのもいいかな、とそんな想いを感じとっていたように思う。みんなどっこいどっこいなんだから恐れることもないやねと。 誰にもあった青春の時代ですね。高峰秀子のいう「含羞」という言葉をこのドラマに重ねてみることもできそうです。矛盾していていいんだけれどそこにハニカミを感じてしまう、イトオシサを覚える、そんなスキ間があるということでしょうか。 しかし遠い時間が過ぎてしまいました。
「前略おふくろ様」のテーマでもあった老人問題が他人事でなくなった年齢と時代に入りつつあるんですから。 これでは、「さらば青春」どころか「こんにちは老年」ではないか。さあ、どうする! 舞台はまだ終わらない。
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とてもかなわない
倉本聰の「前略おふくろ様」