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どちらかというと小説はどうも苦手、読みつづけていけない、ノンフィクションの方がぼくの性にあっているようだ。それでも天藤真は好きだ、『大誘拐』(初出1978年 創元推理文庫・*角川文庫)は有名だが『殿山泰司のミステリ&ジャズ日記』(*講談社)で書いているように何ともさわやかなんですね、後味が。松本清張の対極を成している感じ。天藤真と同世代なんですね殿山泰司は。
『大誘拐』はおばあちゃんの人物像がいい、器が大きくゆったりしていて聡明にしてチャーミング、気骨もあるという魅力あふれる老女なのである(映画(1991年 岡本喜八)では北林谷栄が演じていました)。
おおらかな人柄が山のようにデンと構えまわりのチョコマカした誘拐犯や家族を包みこんでいくところが楽しい。そのうえ、その先に、というかその奥にというべきか見えざる力を見つめているという思想スレスレの想いが張りめぐらされている。推理小説の枠をとっぱらう面白さ。
〈ちょっとボカして書きましたがストーリをバラしてもいけませんので是非、著作について面白さを堪能してください。このおおらかさは「椿三十郎」の奥方、入江たか子を思いださせます。〉
天藤真の小説は特に登場人物が強烈な個性をもっているわけでもなくトリックがすごいということでもないのに力まずひょうひょうとしてベタつかない。他人の目を気にしない傍若無人なふるまいでもなく情緒過剰なウエットなつきあいでもなく、ある高みにたって教え諭すのでもなく、ヒステリックに自己主張するのでもなく、それでいて自分がいて余韻を残すドラマが成立する世界があるんですね天藤真の小説には。さわやかな風が流れてくる感じです。黒澤映画の光にも感じるものですが、どうでしょう。
〈『大誘拐』は強烈でしたけれど、天藤真はあの魅力的な人物をどこから引っぱってきたのでしょう、気になりませんか。〉
『死角に消えた殺人者』『善人たちの夜』『殺しへの招待』『わが師はサタン』(いずれも創元推理文庫)といったところが気にいっている、角川文庫版を古書店の100円均一で見つけたりするとつい手がでてしまう、持っているのに。さわやか系の小説というものがあるとすればそれにユーモアと青春の味を足してくれればぼくの趣味かもしれない。
どう表現したらよいのか迷いますが、あるいはぼくの勝手な思い込みかもしれませんが、少年・少女の大人になる前の不定形で微妙な温度を天藤の小説に感じます。
ぼくの少年期に受けた吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)の衝撃、タイトルが不明だけれど源氏鶏太(だと思う)のジュニア向け小説(25 × 25の暗算のしかたがでていた、『二人三脚』か?)、遠藤周作の『一・二・三!』(*中央公論社*中公文庫)など、少年から大人へのうつろいというか過度期を描いていて印象に残っている、その延長線上に天藤真がいるわけです。
映画にもありますね青春映画前期とでも形容したい系譜、子供でも大人でもない、しかし接点はあるという不思議な世界。青春映画とはまた違う手ざわりですね。リストをあげておきましょうか、思いつくだけでも。
大林宣彦「転校生」1982年
カタカタカタと思い出はモノクロフィルムにとけ込んでいく。2002年のテレビ版「どっちがどっち」も良かった。
大林宣彦「青春デンデケデケデケ」1992年
これにはまいりました。エレキですね。「ふたり」「さびしんぼう」もおすすめ。
森谷司郎「放課後」1973年
もう一度みたい。「育ちざかり」(1967年 森谷司郎 主演内藤洋子!)も良かった。東宝の「青春映画」の系譜も懐かしい。「めぐりあい」恩地日出夫、「俺たちの荒野」出目昌伸も刻印を残しました。
家城巳代治「恋は緑の風の中」1974年
家城久子との共作ですね。原田美枝子のういういしさ。ちょっとした論争をひきおこしました。
相米慎二「ションベン・ライダー」1983年
走ります、転んでもころんでも。話は横浜の三吉橋から始まる。
斎藤耕一「旅の重さ」1972年
少女と風景、夏がきれいでした。冬のラブストーリ「約束」(1972年)も忘れがたい。
どれも心に沁みてきます、懐かしい。チクッと刺すような毒もあるかもしれないがそこがまた映画なんですね。
最近のテレビドラマにもありました「どっちがどっち」(2002年NHK教育 "愛の詩シリーズ" 制作 NHK名古屋)、走っていましたね第1話から12話まで。子供向けであろうがいいものはイイ。主役の二人に拍手。
〈インターネットで制作の年度を調べていると驚きました、公開蒔はどちらかというとそれほど客足に恵まれていなかった記憶があるけれど結構熱いファンがいるんですね〉
〈こういう小品を名画座やイベントで見ることはできないものだろうか、埋もれているのは本だけではなく日本映画も同じ、未知の世界はまだまだあるはず。映画には確かに「毒」があるかもしれない、子供にみせたくないシーンとか聞かせたくないセリフだとか、それが気軽に上映しにくい足かせになったりするのかもしれない。学校だと特にね。前後の流れや全体で見ないでソコだけ抜き出してどうのこうのと言う風潮も追い風になったり。
昔「キネマ旬報」誌上で「恋は緑の風の中」がちょっとした論争をひきおこし賛同と批判の両方の見かたを載せていたことを思いだします、正面から性を扱うと難しいことになるという見本のようなものでしょうか。しかし逃げてしまうとツマラナイものになるんですね。「転校生」「放課後」「旅の重さ」どれもがそこんとこを見ていたから忘れがたい映画になっているのではと思っているのですが。そしてもう一言、映画(あるいはドラマ)は心揺れる青春期にこそ体験させてあげたいものだと思う、いまから思えばぼくの時代はその最後にあたる時期だったように思う。残念。〉