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さて、映画の天使、黒澤明である。 高峰秀子との接点については『わたしの渡世日記』(*朝日文庫 文春文庫)にも触れられており(「青年・黒沢明」「恋ごころ」参照)、こう結ばれている―。
"昭和十六年は私にとって「恋よ、さよなら」そして「戦争よ、こんにちは」の年であった。"
凄い時代の17歳の少女と30歳の青年の話なんですね。恋と戦争。
〈堀川弘通『評伝黒澤明』(毎日新聞社)にも「助監督時代」の章で高峰をスケッチしています。〉
今でもハッキリ覚えている、あの流れるようなシーン。昔、横浜黄金町の大勝館で見た黒澤の「素晴らしき日曜日」。この小屋も懐かしい、大映の映画をよく上映していたが吉村公三郎の「安城家の舞踊会」「夜の河」もここで見た。 音楽会へ行こうと小雨のパラつくなかの電車移動、走る舗道、場面が動いていった、「ネエ、ネエ、ネエ」とハッキリしない雄造を促しひっぱる昌子、忘れがたい。若いふたり、若い黒澤。井上ひさしが死ぬ間際に見たい映画に指名していたのが「素晴らしき日曜日」(『全集黒澤明』第六巻所収の対談 岩波書店)。
〈『黒澤明映画大系3』(*キネマ旬報社)の巻末に佐藤忠男の解説があり「……日本映画ではじめてセックスというもののもつヒューマンな意味についてまじめに考える場面としての意義をもっていた」と書いている、発想はシナリオの植草によるものでしょうが井上が受けたインパクトも同じ根であるようだ。〉
黒澤は映画大好きおじさんと見ればへんてこりんな映画批評や理屈に惑わされることも少ないのではないか。アクションがとにかく力一杯に画面に漲りぎゅうぎゅう詰まっている感じ、それもテクニックに懲り、シナリオを共作で練り上げ、衣装や美術、音にいたるまで画づくりに美的神経を張りめぐらす。安易に思想を読みとろうとすると何か違うなァということになりやすい。実際、映画評論はあまり読まないが「思想」をすぐ持ち出すあたりにウソが入り込むのではないか。
「黒澤明が選んだ百本の映画」(黒澤和子編「文藝春秋」平成11年4月 後に『黒澤明「夢は天才である」』に収録 文藝春秋)は父である黒澤の「語り口調」を再現したものだというがいい話しが詰まっています。 映画は素直に自然に見るもので分析をしたり理屈をこねまわすのではなくスクリーンの登場人物と一緒に生きることだ、という黒澤の映画観。 自分の映画館が欲しかったという映画ファンなら誰もが夢見る話。ちなみに〈黒澤シアター〉、一家をなした監督たちの専門劇場なんて出来たら素晴らしいでしょうね、黒澤をめぐる映画だけでも点から線へどんどん広がっていくでしょうから。
役者の演技が気に入らないと「本当に怖い人だった」という成瀬監督評、「大地の子守歌」(増村保造)の原田美枝子に注目していた話、「あ・うん」(降旗康男・美術村木忍)の向田邦子はしっかりした本を書く人だった惜しいね、というつぶやき。
映画評論家のジョン・ギレットの話――日本映画史をたどると凄い監督と素晴らしい作品がいちどきにそろった時期があるが世界に例がないという指摘――など興味はつきない。
たかが映画じゃないか、という映画ファンだけが共有できる逆説をぼくも大切にしたい。
岩波書店が『全集黒澤明』シリーズでシナリオ集を刊行しているが第6巻の井上ひさしとの対談が黒澤の世界に肉迫していて読ませる(《対談》ユーモアの力・生きる力 黒澤明/井上ひさし)。ただしこの全集は軽装版で読みたいものだ、昭和30年代に理論社で出たボリュームだと持ち運びできて重宝するんですが(日本シナリオ文学全集*理論社)。
〈映画は研究や勉強の対象にする以前に楽しめ、それこそゲタばきやセッタで気軽に立ち寄れる親しみやすさが欲しい、その意味で本も重々しくすることもないのでは、とこれは憎まれ口になってしまいました。文庫版がでればと思う本もけっこうあるんですが、なかなかね。〉
井上ひさしとの対談の中で黒澤が創作にあたって大切なことはいかに自然につくるか、だと言っている。
「こういうことをやろうとか、ああいうことをかたろうかというんじゃなくて、自然であることが一番いいんじゃないですか。自分が感じたことを自然に伝えようと思って。だから、いかに自分を自然な状態においていくかということを一番考えますね。……」
と話し、「ほんとにいいものができているときは自然につくっていますね。お客をびっくりさせようと思ったりしたらもうだめですね。」と井上が答えている。
拙いこのノートを書くときでも自然に自分らしく、背伸びをしないで、と思っているのですがイヤイヤ結構難しいものです。自分たるものが小さいとつい構えたりコワザをだしたりするもの、用心用心。理屈に逃げないで実感に根ざしたものこそ大切にふくらませていきたい核になるのでしょう。

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