
あれは黒澤追悼の映画上映のときだった、「生きる」の通夜の場面、客席から“昔の役者はうまかったなァ”とつぶやきが洩れていた。
〈ぼくが「生きる」をはじめて見たのは30年以上も前のこと、川崎の「駅ビル文化」だった、通夜のシーンにはぶっとんだ。赤提灯でサラリーマンが上役やら同僚たちのカイシャの話がたいがい出ますわな、あのぐじゃぐじゃした雰囲気そのままに酔っぱらっているんですね画面が、びっくりしました。「スキャンダル醜聞」にもありましたね左ト全と志村喬が「来年はやるぞ!」と酔っぱらいながら蛍の光の大合唱になるシーン。好きですねェ、ぼくはこういう場面。〉
もう一つ役者の話といえば高峰の杉村春子への畏敬について『わたしの渡世日記』(「にくい奴」参照)で強烈に書いている。
『いっぴきの虫』(*潮出版社*角川文庫)の杉村との対談と合わせて読むと続編が味わえる。杉村との対談で高峰はこう告げている。
「私、ずっと俳優やってこられたのは杉村先生がいたから、いえ、別にあんなに上手くなりたいとか、そんなんじゃなくて、そういう人の生きているときに自分が生まれあわせたってことに幸せを感じるし、第一、そんなこと考える自分が純情で、うれしくなっちゃうの、まだ、いいとこあるな、なんて自分で思ったりして」 『いっぴきの虫』
高峰は「惚れた」ということばを使っているが分かりますね、心の奥深くに染み込んだ]をいとおしく思うと同時に自身をそこに重ねてみる気持なのでしょうか。
「全く、お世辞ではなく、杉村先生は美人だ。それも、おめにかかる度に、より美しく、若々しくなっていくことに私は驚嘆する」。
高峰を受けとめる杉村、二人のやりとりはホントに大人の、それも仕事人の世界を感じさせます。ことばになっていない杉村の「・・・」と涙が妙味。
〈『いっぴきの虫』は対談集、1978(昭和53)年の発行だが今読み返すとその時点の背景もいっしょに話のなかに浮かびあがってくるけれど1958(昭和33)年の『私のインタビュー』(*中央公論社)と合わせて後のにんげんシリーズに連なる系譜なのでしょう。
<インタビューといえば『女優高峰秀子』(既出)の“高峰秀子における「書く」ということ”(斎藤明美)がいい。「失礼を省みずに言えば、高峰さんは、実際の物言いよりお書きになった文章の方が〈優しい〉ように思いますが」と斎藤に突っこまれているところ。
気のおけない人に放たれる高峰のぞろっぺえ言葉がいい。『高峰秀子の捨てられない荷物』で伝法な口調を再現したことは斎藤の一つの功績ではないか。
〈なお、高峰の著作一覧については『女優高峰秀子』にまとめられている。〉
さらに写真家木村伊兵衛との対談のなかでは成瀬監督との共通点をあげている、そのひとつを掲げておきたい。
「あくまでしぜんに、あるがままに泳がせておきながら、取るべきものは有無をいわさず抜き取ってしまうという独特な手法」
木村の写真に確かに似たものを感じさせます。
〈杉村、高峰、栗島すみ子、山田五十鈴、田中絹代、岡田菜莉子の「流れる」(1956年 成瀬巳喜男)は凄い映画でした。栗島すみ子の貫禄、まさしく女優の映画。ぼくはビデオで見ただけでカッコつきですがうまいですよ、年増芸者を演じた杉村。『君美しく』(既出)の山田五十鈴の章にも「流れる」の話題がでている、「杉村(春子)さんのあの芸者、面白いでしょ。あれぜんぶ杉村さんがお考えになって。あの電話の口三味線なんかは台本になかったんですよ」と山田は語っている。
昭和30年代の日本映画にはモノクロに焼きついた当時の風景、風物詩が限りなく郷愁を誘いますね。同世代の方でしたらなおさらでしょう。〉
〈郷愁といえばわれわれの子供時代を写した『土門拳 腕白小僧がいた』(小学館文庫)がいい、群ようこがいい文章を添えている。
「我を忘れるくらい遊んだけれども、それと同じ分だけ我慢したし、させられた」(「路地ですべてを学んだ」)と書いているが、分かりますね、何もかも納得。
「貧しいけれど幸福だった時代」と持ち上げるには少し抵抗を感じる方もおいででしょうが映しだされた子供たちの表情は確かにぼくたちの時代のものだ。松田道雄が書いていました、大人が入り込めない自由が、思いっきり遊べる世界が子供には必要だ、と。管理がスポッとヌケ落ちているような空間が本当の子供の世界なのでしょう、それなのに。
〈『貧しいけれど幸せ』は写真集のタイトルです(平凡社 コロナブックス)。昭和をテーマにした懐かしの写真集が出始めました。松田の本については補足「子供の時代」参照。〉
そう書いてきて朝日文庫の『わたしの渡世日記』の解説は誰が書いていたかナとひっぱり出してみると森本哲郎で、キラ星のごとくすばらしい人たちが高峰を取り囲んでいる、「昭和の人間史」でもある、といっている。同感。
新村出は高峰の大ファンで家中にポスターを貼っていたなんて、絶句。
最終章(「骨と皮」)で高峰は「わたしの人生は(ここに綴ってきたものよりー引用者)もっとみじめだった」と書いている、これまた別の意味で絶句。
高峰の本に「にんげん」(『にんげん蚤の市』『にんげんのおへそ』『おいしい人間』いずれも文春文庫)とついた題名が多いけれどこの辺りもマークしておかなくては。
『にんげん蚤の市』の「のっぺらぼう」の章に若山富三郎の思い出が綴られ若山が高峰を共演したときの役柄そのままに「お母さん」と呼び電話をくれていたこと、ホノルルで盗み撮りをしたキャメラマンとのいきさつがあって、高峰に褒められた若山がテレルところがあったり、実におかしい。
土門拳との強烈な思い出、「右手がソロリと上衣のポケットに入ったと思ったら、その手に吊り上げられるようにしてライカが現れた」木村伊兵衛(「デコちゃんレター」の章)のこともスケッチされている。
〈『木村伊兵衛 昭和の女たち』(ちくまライブラリー田沼武能編 長部日出雄文 *筑摩書房)にそのときの高峰の写真が一枚載っている。この本の長部日出雄の文章がいい、取り残されていくものを切り取っていった木村の魅力を綴る。〉
「人間鑑定図」では先にあげた骨董の中島の話と符丁を合わせるシーンがでてくるが高峰の骨董一代が綴られている、物にも相性があるという高峰のことばは骨董をヒトになぞって見立てているところを読んでいくと案外深い奥行きをもっているような気がする。気に入ったモノとだけつきあいたいというのは人もそうだし、生き方というと大げさですが生活の根っこを規定していくところがありそうです。ハンパではありません。
同世代の乙羽信子との交流もシンミリさせられますね。
『にんげんのおへそ』では「おへそ」と題して「用心棒」での黒澤と照明技師(石井長四郎)との丁々発止のやりとりが語られ、にんまりさせられます。ただし、高峰はどれもあっさり書いているから点描をふくらましていくと面白いかもしれない(黒澤明の石井長四郎談参照)。
ぼくが高峰の映画を初めて見たのが小学校6年か中学1年のとき、学校で連れられて「名もなく貧しく美しく」(松山善三)をみた、それから20数年後今はない銀座並木座で再見。同世代の方でしたらその歩みははかりしれないほどの影響を受けていることでしょう。
「かあちゃんは、70過ぎたバアさんなのに、凄い人気だね」という斎藤の感慨は世代を超えて生き続けるのではないか。
ぼくにとっては〈高峰秀子という女優〉は過去形ではまだ語れない、見た映画はたかだかしれたもの。銀幕の高峰と会えるのはこれからの楽しみでもあるのだ。