高峰秀子の編で取りあげた土門拳と木村伊兵衛の昭和30年代の子供たちや街の表情を眺めていると、どうしても子供の世界が気になりはじめる。素通りできないような、何かひっかかる感じですね。
ふと思い出した一冊の本、長い間心の片隅に沈んでいたことばが甦ってきました。『自由を子どもに』(1973年 *岩波新書)の松田道雄です。
子供や教育について読んだ(おそらく数少ない)本のうち覚えているのはただこれだけといっていいくらい、松田のこの著作は表現こそソフトだけれど強い印象が残っている。
松田は昭和30年代とはいっていないが子供に必要なものは自由、自由に遊べること、遊べる場所と仲間がいること、路地があり横丁があり大人から自由な子供だけの空間があることだ、という。
松田は大正時代の子供の頃を軸にして自由がなくなったとも発言しているけれどその世界こそ土門が木村が写しだしていたものであり、群ようこが「学んでいた学校」(土門拳『腕白小僧がいた』所収 小学館文庫)と重なってくる。今となってはこれは郷愁ではあるのですが同時にかけがえのない想いも残ってしまう。失ったままでいいのだろうか、というような。
「自由」があった時代は昭和30年代を最後に終わってしまった、というのがぼくの実感。 何といっても子供も多かった、遊びの天才が子供なんだから大人は安心して放りだしておけばいいのだ、大人たちは貧しく忙しい。空き地もありました、校庭も路地も川辺も山も、どこでもが遊び場所。 おおらかというかゆったりというか時間の流れ方が違うんですね、今とは。 子供の居場所がちゃんとあるかないか、どこにでもあったのがあの時代。 松田がいうように遊びながら学ぶから根づくのでしょうか、つきあいかたも我慢することも、怖いものがあることも、いけないことを知るのも。楽しいことすら自覚しないほど遊んだ、自由は遊びとイコールなのであり仲間とぶつかり仲直りをしたり、その繰り返しから他人を知り自分をも知るんですね。
〈理屈っぽく書く必要はないのかもしれないがぼくは若い世代がこのニュアンスを分かってもらえるか少し不安を感じている。実感に根ざして理解してもらえるかどうか、とういうようなとまどい。あまりに管理されマニュアル化された「遊び」の提供がそれこそあたりまえになっているから。〉
なぎら健壱『東京昭和30年 下町小僧』(*データハウス 筑摩文庫)に昭和30年代の子供の遊びの生活が見えている、どこか共通したものを感じさせます。密度の濃さ。
〈この本はハンパではない、労作というべきだろうがそれ以上に歴史的な価値をもつのではないか。脱稿までに一年半を要した(「あとがき」参照)というが昭和30年代の生活史までキチンと踏み込んでいるところが凄い。少年魂ですね。〉
「あとがき」に印象深いことばがある、
「東京にオリンピックがやってきた。僕が小学校六年のときである。正にこの東京オリンピックは、高度成長のシンボルであった。」
「東京オリンピックと共に昭和30年代は終わりを告げた。」
東京オリンピックは昭和39年の開催だから文字通り30年代の終わりを飾ったわけだが、この「終わり」は下町の終わり意味するだけに重い。下町の終わりは街を変え、人の心を変え、何かに追い立てられるような息苦しさ、窮屈さを日常化させた。しのびよる管理社会の影は世界を覆いはじめたかのようだ。
〈日本映画でこの息苦しさを逆手に捉えた作品が記憶に残っている。日活ニューアクションと呼ばれる一連の映画にその影が映し出されていたように思う。ぼくにとっては「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」(1970年 藤田敏八)。
当時ぼくが見た逗子東映は二番館だったが客席は閑散としていましたね。確か「ダイニチ映配」提供でした。なお、藤田のデビュー作「非行少年・陽の出の叫び」(1967年)は「キューポラのある街」を反面教師にしようとして作ったもの、という発言は興味深い(『インタビュードキュメンタリ 映画に憑かれて 浦山桐郎』原一男編 「藤田敏八」参照 現代書館)。藤田の「ぼくらがダメにした文明がぼくらをダメにする」(「シナリオ」1971年三月所収)は管理社会との対比で読めばその対極に遊ぶ主人公をもってきたことがよく分かるように思う。その遊戯性には昭和30年代の子供の時代をひきずっているようでラストで見舞われる遊びの破局には胸を衝かれる、少年のままでいたい青春映画とぼくは見たのですがどうだろうか。〉
著者の生まれた木挽町はぼくのかっての勤務先の近くでもあったからよけいに触発される。今の東銀座にあたるけ
れども明石町、銀座、築地、月島、新富町が活写されている。もちろん遊びの場所としてである。
あの横丁この路地で下町最後の子供たちが遊び回り駆け抜けたのか、という想い。なぜか共有できるような感じがします。流れていた川は埋め立てられて高速道路が走りいまは橋だけが残っている。子供たちの姿はどこにも見えない。
〈世代はずっと遡るけれども『街のにおい 芸のつや』(加藤武 *新しい芸能研究室)も築地、歌舞伎座、銀座の話題が詰まっていて興味深い。回想は昭和20年の空襲で歌舞伎座、築地小劇場が燃える場面から始まる。もうひとつ、この本の「あとがき」に綴られている「可愛い後輩」の話にはシュンとさせられました。木挽町といえばシナリオライター笠原和夫の青春の時代を彩った土地でもあるはず。〉
松田道雄はハッキリ高度経済成長が「自由な空間」を破壊した、と言い切っている。 親や先生がつきそう「遊び」や「自由」は松田が言う「自由空間」ではない、そこがすりかえられてしまうと違ってくる。
〈現実はもっと怖いようなところまでいっているのかもしれない、自由の喪失を松田は公害と同じ視点でえぐっている。人間の自然破壊という感覚。高度な管理技術や教育の調整でカタがつくものではない、と。この指摘は重要だと思う。〉
およそ30年ぶりに読み返してみたけれどまったく古くなっていない、忘れていましたが江戸時代、明治、大正と自由教育とその思想の移り変わりをタテ軸でたどり奥行きも深い(「日本人と自由」参照)。ただし今の子供の環境はテレビの影響とか精巧なおもちゃとかの子供の身の回りの描写につけたすものがさらに過剰に入ってきたというところでしょうか、携帯とかゲームソフトにコンビニ、ファーストフード、少子化の定着etc。
絶版になっているけれどアンコールを希望したい一冊。
しかし、遠いところまで来てしまったなぁ、というのが正直なぼくの感想です。
「キューポラのある街」(1962年 監督浦山桐郎 日活)という映画はご存知でしょうか。出ているガキたち、生き生きとしていました。あの頃の子供たちの顔がそこにあるような想い。昭和37年の公開とある。
この映画は時代がまだ「子供たちの時代」でもあったことを映しだしているように思える。どこにもガキがいた。そして貧乏ということばが今とは重みが違うのが分かります、生活のド真ん中に正座している感じなんですから。
〈公開された昭和37年は貧乏から少し遠ざかりテレビが光彩を放っていた頃だから映画の時間とはズレがあるように思う、高度経済成長に取り残された層をすくいあげたと見ておきましょう。〉
「キューポラのある街」は弾けるような明るさ、希望が息づいていた。「いつでも夢を」「寒い朝」の歌がなぜかかぶさってくる。ジュン(吉永小百合)はぼくたちの先を走るお姉さんであり先輩だ、あとに続こう。そんな気持ちだったように思う。
しかし昭和37年のその先―。

とてもかなわない補足
子供の時代
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