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2年後には東京オリンピックが開幕、東海道新幹線が走り、高速道路にのって高度経済成長がうなりをあげていく。街の姿が本当に変わっていきました。
大学紛争はこのあとすぐの出来事だった。
この変貌は生活の根っこにまで及んだがそのまま曲折を経ながらも今日まで地続きで続いているのだろうか。ぼくの実感ではバブルの絶頂期がビル乱立を促しさらに街を一変させたように感じる。マンションやら高層ビルがホントに多くなりました。駅のターミナルを覆いつくす大規模な商業ビル群の凄さ。
〈街といえば白線で区切ったないに等しい歩行者の道、ヒヤヒヤしながら歩かなくてはならない道路のなんと多いことか。生活道路のみじめさについては何をかいわんや、である。最近目につく高層ビルは地震に本当に耐えられるのか、など首をひねらざるをえないようなことがまことに多い。モノ優先の暮らしを超える「価値」の重要性については昭和40年代に公害問題が噴出したときに盛んに唱えられた命題だったように記憶している。「良きもの」は復権するのだろうか?
街の変貌は3つに括ることができるという。東京オリンピックを頂点とする高度成長、日本列島改造を謳った1972年頃、そして1980年代後半のバブル経済。大きなうねりにさらされてきて今は個々の大規模再開発がほぼひと区切りついたところか?
経済評論家なら生活者優先の生活環境・福祉医療の充実を求める途が「価値」のなかみだと説くだろう(いわゆる生活資本の充実と社会的弱者の立場の重視)。ぼくも確かに同感なんだけれど「価値」は政策だけの問題でカタがつくものだろうか。創造ぬきにつくれるものだろうか、という疑問が残ってしまう。この場合の創造は欧米のモノマネや独り善がりの高踏的なメッセージとやらを撒き散らす類のものではないことはハッキリしてきたのではないかという気がする。
つい口が滑りすぎてしまった、これ以上ボヤキに踏み込まないよう自制しよう。ただひとつ、ぼくは置きざりにしてきたもの、失ったものと向き合う力が「価値」の創造とどこかで触れ合うことがありそうだ、と思っている。〉
子供たちの求める自由空間は求めて止まないものである限りたくましい姿を垣間見せる、はつらつとした元気や瑞々しい感性を子供から教わるような感じですね。
大人にも子供にたいして教え諭すというより自分から見つけていくことをテーマに子供と向きあっている方たちがたくさんいることでしょう。一般的に書いてしまいましたがそんな断面を目の当たりにすることがあります。そのノートは機会を改めてまた綴ることにしましょう。
少しだけノートにしておくと小椋佳プロデュースの「アルゴミュージカル」(『山に抱かれて/新・小猿物語』)を昨年の夏(2003年)、初めて見た体験を記しておきたい。
震えがきました。子供中心のミュージカルなんですが五感を揺すぶるというんでしょうか、凄いものを見てしまったという感じですね。いまだにあの衝撃の余波からぬけきれない、もちろんぼくは音楽も演技もダンスもろくに知らない素人ですからどうのこうの評論はできませんが体で感じるしかないものを受け止めた、体験させていただいた、という想いです。
〈出演する子供の層は小学校4、5年生から高校生くらいまでのようだから子供といっても幅はある。「アルゴミュージカル」は毎年夏に公演、今年の楽日は川崎(9月20日)です。〉
*この記述は2004年のものです。
しかし子供のことは大人の問題でもあり「自由な空間」は大人にも必要なもののはず、もちろん息抜きとは違った意味ですが。それぞれの時代が創りだすものがあるようにも感じますがどうなんだろう。
〈「自由を大人に」という眼を同時に重ねあわせたいという気持です。居場所はあるか、自分の自由空間はどこにという問いかけにつながりそうです。〉
このノートの番外に「子供」の世界をとりあげることになったのは予期しないことでしたが失われた街の景観とともに、ぼくの小さな旅の中で見え隠れしていたものの一つかもしれないという気がしている。

とてもかなわない補足
子供の時代
追記
今年のことではなく昨年の観劇について書いてあるのはこれから今夏の公演を目前に控えていた時季に記したものだからです。
ホームページのオープンを京橋のフィルムセンターで開かれた「女優高峰秀子」上映期間中かアルゴの夏公演の千秋楽辺りにしようと思っていたのですがスッカリ遅れてしまいやっとどうにか年内に間に合ったというわけです。
今年はどうだったか。
もちろん!です。