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さて、読書の話題に戻ろう。 白上のあげている本のいくつかをノートにしておきたい、このリストはこの先ぜひ読んでみようというぼくの予約付きの本だからまだ読んでいない、そういうものとしてとりあげておきたいのである。
『東潜夫論』(帆足万里 *岩波文庫)
「むかし新宿のムーラン・ルージュに岩波文子というおどりこさんがいた」という書き出しではじまる第22話に紹介されている。著者は幕末の頃の漢学者・理学者であるという、白上のことばを引用しよう。
「深くて広い学殖と政治的実践の経験にうらづけられ、痛烈ではあるが、何かさわやかな、いわば科学的な評論として、ときどきとりだして読みたくなる魅力をもっている。当時の国際情勢から朝廷と幕府との関係、役人の汚職や社用族、見世物としてのスポーツやギャムブルのことまで、説き来り説き去って痛快無比、その大部分が現代にもそのまま当てはまる。」
『浮生六記(うき世のさが)』清のしんふく沈復(1763)の自叙伝。(佐藤春夫、松枝茂夫訳、*岩波文庫)
第37話の「ほのぼのと心が温められる本のこと」に出ている。同じ章に『デルス・ウザーラ』も「心あたたまる探検記」として紹介されている。
「著者は市井の一読書人である。才情かねそなえた妻と過ごした二十三年の想いでをつづった第一部『よきわが妻の記』は愛妻文学(?)の白眉である。次いで『のどかごころあわれの記』、『ままならぬ人の世の記』、『草まくら おもしろの記』の四部だけが残っている小品である。」
もう一冊、第45話からの「推薦」図書から。読書の第一歩として本以外のものを読めという章にある。
『私の切りぬき帖 ハサミとのり』(三国一朗 *みゆき書房 後に再編集されて『鋏と糊』*自由現代社 *ハヤカワ文庫)
どの本も絶版ばかりだがひもといてみたくなる、「挑発」にのってみよう。
白上がくりかえし述べている歴史を見つめる「眼」の根っこにあるものは「私の文章は毒をぬりこめた矢である」という痛烈なことばに集約されているようだ(第36話「俗衆の内に射込む毒矢」参照)。
ここにいう歴史とは白上の青年時代と今を生きる学生たちの時代の同質と差異を執拗に探ろうとする批判精神のようだ。戦争の影が色濃く映し出されているからこそ白上のいらだちも激しい。
〈飛躍を承知でいえば白上と天藤真の『大誘拐』を重ねてみることもできそうだ。白上1913年生、天藤は1915年生である。〉
〈私〉が過ごしたあの時代と眼のまえの時代を重ねあわせてみることは懐かしさを超えて繰り返すもの、壊されたもの、退いたものへの眼を意識させてくれる。ぼくの世代もおそらくそんな位置にいるのだろう。多くの局面を積み重ねるだけではなく相対させることで背後に、あるいは底のほうで動く状況がポッカリと正体をみせるようなことはないのだろうか。失われたものの大きさに気づくことはないのだろうか。
過ごしてきた日々を振り返るとタテ軸とヨコ軸をどうとるか、が気になってくるということでしょうか。
〈『現代〈死後〉ノート』T・U(小林信彦 岩波新書)が時代と流行語とを重ね合わせて面白い、『対談 昨日を超えて、なお』(1980年 小林信彦
片岡義男*角川書店 改題されて『星条旗と青春と 対談ぼくらの個人史』*角川文庫)とセットで読むと〈時代観察者〉としての小林の位置がよく分かる。時代観察は今にいたるまで続いている、一貫したユニークな仕事ではないだろうか。特に街(主に東京)の変わりように注ぐ小林の眼に注目したい。
リストをあげておきたい。なお、初出は単行本の刊行年度を指す。
『新版私設東京繁昌記』(1992年 筑摩書房 写真荒木経惟)
『私設東京放浪記』(1992年 筑摩書房)
『昭和の東京、平成の東京』(2002年 筑摩書房)
*この3冊は東京3部作と著者が呼んでいるもの。
『時代観察者の冒険』(初出1987年 *新潮文庫)
『日本人は笑わない』(1994年 新潮社)
『人生は五十一から』(初出1999年 文春文庫)
『最良の日最悪の日 人生は五十一から2』(初出2000年 文春文庫)
『出会いがしらのハッピー・デイズ』(初出2001年 文春文庫)
『物情騒然』(2002年 文藝春秋)
『にっちもさっちも』(2003年 文藝春秋)
『定年なし、打つ手なし』(2004年 朝日新聞社)
『花と爆弾』(2004年 文藝春秋)
*このリストは追加補正される予定。
小林の本は読みやすいのだがさりげなく書いている一言の重みに後で気づくことが多く油断がならない、散りばめられたコメントには自分なりのスクラップが必要かもしれない。
例えばこんな記述が「深作欣二監督の《県警対組織暴力》」映画評にある。
「…昭和三十八年(この映画の時代設定だが、男女の服装の考証はアイマイ)は、戦後史のフシであったと、私は、自分の過去に照し合わせても思う。この翌年のオリンピックの年(深夜喫茶の禁止、環七完成)には、私の周囲にわずかに残されていたコントンがとどめを刺され、高速道路とともに管理体制が完成したからだ。」
(『エルヴィスが死んだ 小林信彦のバンドワゴン *昌文社』
何げない指摘がぼくの胸に響いてくる、「県警対組織暴力」の時代設定に着目するあたりは鋭い。良くも悪くもひとつのコミュニテイが管理の網にかけられ崩壊していくところが後半部分にありました。
「日本映画の黄金時代の終わり」は昭和38年と捉えたのだけれど小林は「戦後史のフシ」であると見る。この辺りから戦後20年の節目につながる昭和40年台の初めまでは何やら微妙な時代の動きを感じさせる。
昭和30年代の終わりが子供の世界に及ぼした「とどめ」についても触れておきたい。