とてもかなわない
高島善哉
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高島善哉
b.昭和40年代の社会科学
ぼくの学生時代は政治の季節だったからか社会科学への関心は多少あったように思う、その頃岩波新書で『社会科学入門』『アダム・スミス』を読み、それまで乱読でものたらない想いが何か岩石にカチンとあたったような魅力を感じさせた。
同じ岩波新書で『社会科学の方法』『資本論の世界』がぼくの射程にはいってくるのはこの辺りからだ、経済学にとまらず哲学・人文学を含み、言ってみれば人間学とでも言うべき幅と深みをもっている。今振り返るとこの時期の社会科学はそんな個性を持っていたように思える。
この時期の刺激的な著作の年代をまとめておこう、以下の通り。
出版社は現在入手できる版元を示した。
大塚久雄『社会科学の方法』昭和41(1966)年 岩波新書
内田義彦『資本論の世界』昭和41(1966)年 岩波新書
高島善哉『現代日本の考察』昭和41(1966)年 『高島善哉著作集第4巻』こぶし書房
高島善哉『アダム・スミス』昭和43(1968)年 岩波新書
水田洋『社会科学のすすめ』昭和44(1969)年 *講談社新書
福田歓一『近代の政治思想』昭和45(1970)年 岩波新書
高島善哉『民族と階級』昭和45(1970)年 『高島善哉著作集第5巻』こぶし書房
*この著作リストは未完です、都度追記され増補の予定。
昭和40年からの5年間というのはぼくの学生時代と重なってくる。
昭和40(1965)年、その年に黒澤の「赤ひげ」が公開された、前年には東海道新幹線が走り東京オリンピックが開催、ビートルズ旋風が巻き起こり文化大革命が起こったのが翌年。学園紛争が吹き荒れたのが昭和43(1968)年、東大安田講堂の学生による占拠は昭和44(1969)年。昭和45(1970)年に三島自決。
こうして振り返ると時代が駆け足で走り抜けそれと伴に不協和音が響きわたった印象をもつ。思えば1965年から70年にいたる時代は昭和30年代をはるかかなたに引き離し高度経済成長が都市化を推しすすめ街の景観が様変わりしていく、同時に社会の変貌を根っこから問い返していく時代だった。ぼくの気持ちのなかに昭和40(1965)年に帰る、という声が聞こえてくる。それ以前は帰らなくて良いということでなく節目なんです、グィと時代が大きく変わっていくという実感。戦前・戦後すぐに提起された問題をこの時代にもういっぺん全体的に捉え直してみようという動きがあったという、時代の「転機」ですね。
〈昭和40年はもちろん戦後20年を画する。高島は『アダム・スミス』の「むすび」で「スミスから日本を見るのではなく日本からスミスを見る態度が要請されている」と述べている。これからの時代の古典研究は外国からの文化の摂取、消化に終始するだけでなく自らの足で立ち創りだすことに向かわなければならないと理解してよいならば「歴史の舞台はここでも一廻りした」ということになる。けれどもこれは学問の世界だけでなく外国のあらゆる文化風習、技術、流行を消化し「豊かになった」日本が逆に何を創造したかという眼で捉えかえしてみると高島の指向しているものが普遍性を帯びてくるように思う。ポッカリ空いたものがあるような感じ。戦後の20年間で舞台が一巡したという感覚にこだわりたいのはどうもそんな背景を思い浮かべてしまうからなのだろうか。〉
哲学者の中村雄二郎がその「転機」を掴まえていた。
その著『日本の思想界』(1967年 *勁草書房)では「現代思想のなかでの『社会科学』」と題して『社会科学の方法』『資本論の世界』『現代日本の考察』それに宇野弘蔵『社会科学の根本問題』をとりあげている。中村はこれらの著作が「社会科学の転機」を迎えていることを示すものとして注目し、「原理的な問題」の提起と究明がここまで明らかにされた今、改めて哲学者たちはその深化を担うべきだと書いている。
自然と違って人間を背負い込む社会科学が「科学」たりえるのはどうしてか、「人間」といったときに思想や行為が入り込まざるをえないがそれらが織りなす世界をどのようにして社会の科学へ送り込んでいくのか、いったい社会科学的な考え方が雑然とした利害関心や宗教観から「離脱」して社会を全体として掴み、思想と理論を形成してきたのはいかにしてか、などなど。ぼくの関心に引きつけて「原理的な問題」を整理するとこんな問いになる。
戦後20年余りを過ぎてこの時期に社会科学の基礎理論が、社会科学のあり方を考え直す問題としてさまざまな切り口から問われていたこと、あらためてそんなうねりがあったことを再確認しておきたい。ぼく自身の昭和40年代をふり返り、そうだったなぁと思いあたる。社会入門の時期ですね。 中村が昭和42(1967)年に捉えた「転機」のその後はどうか。深化・継承は果たされたのかどうか、逆に衰退はないのか、ぼくの疑問はつきない。 あの時代から35年以上の時を刻んでいることに、そして時代はひとつの「喪失感」(次に掲げた山之内論文参照)に捉われていることに、呆然とする。ぼくの実感でもある。
山之内靖「教育の公共性と社会科学」(1998年『岩波講座 現代の教育』第九巻所収)の冒頭にある「社会科学が問わずにきたもの」では子供から大人になっていく過程に起きている「狂い」をきたしているとしかいいようのない事件の数々は社会の根源にかかわる問題をつきつけている、とみる。身体・生殖の再生産(=家族・教育)と社会の再生産を同じ根っこの問題として掴み、前者に探求のメスを怠ってきた「社会科学のありかたそのもの」への反省を迫られている、という。
原理的な問題の在りかはたとえば1973年の『女性解放思想の歩み』(水田珠枝 *岩波新書)がすでに提起していたことと重なるように思う。しかし、30年余りを経過した今、重い病理となった「現実」はあらためて「根源的領域」に立ちかえり社会科学の世界をそのよって立つ基盤にまで降りて再認識することを教えている、ということなのだろう。
山之内の提起している問題は門外漢でしかないぼくにとって久しぶりに(個別科学のあれやこれやではなく)社会科学というものをストレートに意識させる力を感じさせた。それは昭和40年代の刺激的な著作への回帰につながり、高島が執拗なまでに唱えていた「原点に帰れ」を想い起こすものとしてだけれど。
〈1970年の『民族と階級』で高島は「民族の問題はその深部で人間論につながるものでなければならない」と言い、「生命と食糧の二つの生産を結びつけてみるのでなければ具体的な人間観は生まれてこない」と述べ、残された課題の一つだと注意を促している(第九章 民族の復権)。〉
〈「教育」の狂いについては『自由を子どもに』(1973年 松田道雄 *岩波新書)で子供から「自由」を奪い破壊したのは高度成長だと明言している、大人はもっとこのことを本気で考えるべきだとも、昭和48年の著書である。
(「子供の時代」参照)〉
鈍感なぼくでさえ戦後50年目の1995年頃から何かが失われどこへ行くのかわからないある種の不気味さを感じざるをえない、小林信彦がいう「戦後最悪の時代」感覚ですね。社会科学の出番ではないのだろうか。
追記
そして今年2005年は戦後60年の節目となる。
ハウツーものはともあれ迫力に充ちた社会科学を読みたいものです。