扇谷正造  B2-353R マスコミ交遊録 文藝春秋新社 昭和38年 C:B 
¥1,400
文春文庫版の「わたしの渡世日記 上」に「文庫版まえがき」として扇谷正造が1年間にわたるエッセイの執筆を依頼したいきさつが書いてあります。その扇谷の交遊録は徳川夢声、幸田文、藤本真澄、林芙美子、有吉佐和子、池島信平など高峰の交遊と重なるところが多い。夢声の「問答有用」の編集者として初めて高峰に会うが「デコちゃんの頭の回転」の章で高峰との会話の図式がでていてこれが傑作。夢声の章も長年、対談に同席していただけに愉しい(「夢声老から学んだこと」)。
 小川徹  A1-947 作家と女優 現代社 昭和30年 C:B ¥1,000
「作家と女優」をメインに「監督このごろ」「脇役人生」と続く構成で日本映画黄金期の人物コラムの趣き。どんな女優がいたのかがエピソードとともに一望できる。
 うえの春秋  A3-982 うえの春秋 上野のれん会 昭和55年 C:B 函入 限定出版(千部) ¥2,800
アメ横うろうろ(田中小実昌)下町のひとびと(渥美清) 下町のコメディアン(榎本健一) 花は上野(三遊亭金馬)上野とボク(サトウハチロー) 不忍池(安藤鶴夫) 下谷生れ(小島政二郎) 夏(武井武雄) A5判布地装425ページ。

高峰秀子のは満開
確定申告も終わってヤレヤレ、肩の荷を下ろしたところで本屋でものぞいてみるかと横浜のU書店へ。映画のコーナーに近づいてみると日経新聞(朝刊 2/28)の「高峰秀子の流儀」(以下、流儀と略す)の紹介記事が掲げてあったのでホウッもう・・・と読み終わって、売れてるのかなと奥付けを見たら何と4刷だって、1月25日の発行だからまだ一月ちょっとだぜ。驚いたなぁ。ちなみに横浜市内の(市立)図書館ではこの本は全館貸し出し中、すでに予約が90人近くも入っている。皆さん待ってたんだろうか、高峰秀子を。デビュー作の「巴里ひとりある記」も刊行1カ月で版を重ねている、もちろん発行部数も時代も違うから比較はあまり意味はないけれどとにかく凄い勢い。「流儀」は非常にくだいた書き方でスイスイ読めるけれど苦い本だから受け入れられるのかなと気になっていただけに嬉しいことです。予定より刊行が遅れたから気をもんだしね。斎藤の根っこにあるのは今風の日本人(というからには当サイト自身も入るわけですが)に鋭く衝きつけてくる批評の目、だから甘くはない。まったく自省を込めて云うのですが「倚りかからず」(茨木のり子)の正反対だもんな、権威や市場価値、流行りに倚りかかり<自分の眼>をいとも簡単に明け渡し「身の丈にあった暮らし」を踏み外す。損得勘定とデータばかりにピリピリして我ながらセコイよなぁと思いながらも今日のところは得したしまあいいかの繰り返し。たぶん読者もこの日本、そして日本の人に自分自身にほとほとウンザリしているというのが本当のところではなかろうか。そこにひとすじの光が射してきた・・・「流儀」がそこにいる。
当サイトにとって高峰─斎藤ラインは八神純子のNATURALLYの歌詞(山川啓介)をなぞれば「都会で見える星座の名前教えてくれた」人であり、「時代の渦へと知らずに落ちていく」<わたし>を振返させてくれる。そして明日ばかりではなく「昨日を見つめて」みることに気づかせてくれる。それらは14歳の高峰が「冬の朝っていい匂いがするね」(「わたしの渡世日記」「瓶の中」)に「」を受けたようにささやかで平凡な風景や暮らし、人の断面に不意打ちをくらわす何かを伝えてくれているのではなかろうか。
加えてトドメの一冊、キネマ旬報社から「高峰秀子」が刊行される(上旬発売と聞くがもう荷づくり段階か?)。絶版品切れのままの「別冊太陽 女優高峰秀子」(平凡社)のエッセンスを受け継ぎ(一部再録されるとのこと)、高峰自身が出演作品の解説をするという夢のような企画。衝撃としか云いようのない「かあちゃんの卵焼き」は再録されるのだろうか。斎藤の「震える弱いアンテナ」が高峰秀子を捉えた、その核になり起点となるエッセイだから眠ったままでは惜しい。それにしても斎藤(明美)印がポンと刻印された本になるようで待ち遠しいことだ。「冬の朝っていい匂いがするね」と同じセンスが斎藤の本にもある(と思う)。その匂いを高峰といっしょに(あるいはバトンを受けつぎながら)追い続けている、そんな印象だ。この方がいなかったら高峰秀子は「回想の人」(「つづりかた巴里」)となり時代の後景に退き、そのまま遠のいていったかもしれない。
春が、高峰秀子が少しずつ近づいてくる、再生の春を迎える。満開の花ビラか。 <3月4日>
追記 横浜駅地下の商店街の書店ではポリシートに包まれて「高峰秀子」が平積みされてました、「かあちゃんの卵焼き」はもちろんのこと続編まで付いてたぞ。このヴォリュームでこの値段(2,520円)なら納得です。 <3月10日>

ノーサイド  B2-77R 総特集 戦後が似合う映画女優 文藝春秋 1994年10月号 C:B ¥1,400
大スター、脇役、可憐、溌剌と戦後の女優総特集。香川京子と市川崑のインタビューまで付いて今から思うとよくもまあ創ったもんだ、ノーサイドの日本映画特集は凄い。
高峰秀子 松山善三  B2-79R 旅は道づれアロハ・オエ 潮出版社 昭和57年 C:B ビニールカバ装 ¥1,300
ゼンゾーさんとデコさんのハワイとことん編、こういう本を読むと分かります、このご夫婦は世界のどこでも生きていける。今でもハワイ行くんなら必携の一冊といっていいんじゃないか。
 ノーベル書房編  A1-570R 侍 市川雷蔵 その人と芸 ノーベル書房 平成3年 C:B ¥6,700
第1刷は昭和45年ですが久しく品切れのままだったのが平成3年に2刷発行。雷蔵ものは写真集や評伝など類書が多いけれど売れ筋だからとか人気だから出そうというのがチラついていて本気で向かい合っていない印象。オリジンはこの1冊、すべてはここへ還る。装丁市川崑、編集は市川、池広一夫、森一生 藤井浩明らが担当。
 田中徳三  A1-999 田中徳三映画術 映画が幸福だった頃 JDC 1996年 C:B ¥1,200
大映プロブラム・ピクチャアの旗手 田中徳三、昭和23年に撮影所に入り溝口 市川 森一生 黒澤 伊藤大輔に付く、雷蔵 勝新 京マチ子らの大映スターと裏方さんまで、その追想は活動屋の熱き詩。
 鈴木晰也  A1-1000 人生仕方ばなし 衣笠貞之助とその時代 ワイズ出版 2001年 C:A 帯 ¥2,000
衣笠貞之助の独特な「仕方ばなし」と実験精神に満ちた日本映画の青春を追跡した労作。
日活編  A1-937 小林旭 50years anniversary マイトガイスーパーグラフィティ 白夜書房 2004年 C:A 帯 ¥2,000 
歌う銀幕スター小林旭のポスター 秘蔵写真 レコード集の誌上オン・パレード。
 ムービー・マガジン  A1-988 特集 藤竜也 ムービー・マガジン社 昭和51年No.9 C:B ¥1,000
日活の匂いがする藤竜也特集、特別座談会 東西の女優の魅力について語ろう(川谷拓三 山田宏一 山根成之)。
8 殿山泰司  A1-989 三文役者のニッポンひとり旅 白川書院 1977年 C:B 帯 ¥1,800
 泰ちゃんの日本縦断放蕩の旅。
山城新伍  A1-990 軟派の硬意地 芸能界、裁くのは俺だ 裁かれるのも俺だ 実業之日本社 1983年 C:B 小口シミ ¥1,500 
毒ッ気と洒落っ気があって「権威」にモノ申ス男一匹山新。こんな芸能界噺も消えてしまったもののひとつかな、今あるのは売らんかなの情報のカケラとカタログばかり。
10 東京人  A2-936 特集 好事家たちの食スタイル 食べ歩き、あの人この人 都市出版 2004年 C:B ¥400 
團伊久磨 田中小実昌 山本夏彦 安藤鶴雄 武田百合子 辻静雄。東京人インタビューは久世光彦。
 
当サイトに掲載している本は基本的に1冊限りなのですがごくまれにダブって入荷してしまい、在庫が複数になる場合があります。当サイトの好みでつい引き取ってしまい2冊になってしまった本たちです。以前からそんな本の背を見る度に早く読みたい人の手に渡してあげた方がいいんじゃないかなどとボンヤリ考えていたのですが(状態が多少違うとはいえ)複数掲載するのも間のぬけた話でいっそ別枠で均一本として掲載したらと思い、「均一台」のコーナーを設けました。幾らの均一になるかは掲載してからのお楽しみということになりますがそれぞれのページで掲載している表示(価格)を度外視してかなりお求めやすくしましたのでご利用ください(送料などお支払いや発送の条件は変わりません、これまで通りです)。 
色川武大  K-18 唄えば天国ジャズソング 命から二番目に大事な歌 ちくま文庫 1990年 C:B シミ
¥300
  
勝新太郎  K-17 泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎対談集 文藝春秋 1994年 C:B 帯 
¥1,500
 
東京人  K-16 特集 やっぱし、落語だ! 特集 落語に生きた親子三名人 志ん朝 志ん生 馬生予約オーダ中のためただ今ご注文の受付けを停止しています 都市出版 1994年 2003年 C:B ¥1,000(2冊揃) 
堀内誠一  K-15 父の時代 私の時代 わがエディトリアルデザイン 日本エディタースクール出版部 1979年 C:B ¥1,500
リプリント版がマガジンハウスから刊行されていますがこちらが元祖、手にとると本の美しさが分かる。印刷・精興社 製本・牧製本 装本・堀内誠一が創ったハード・カバーはいい本のお手本。  
井原高忠  K-14 元祖テレビ屋大奮戦予約オーダ中のためただ今ご注文の受付けを停止しています 文藝春秋 1983年 C:B 帯 ¥2,500 
色川武大 阿佐田哲也  K-13 色川武大 阿佐田哲也全集・15予約オーダ中のためただ今ご注文の受付けを停止しています 福武書店 1992年 C:A 函入 帯 月報付 
¥1,000
  喰いたい放題 唄えば天国ジャズソング 色川武大の御家庭映画館 解題 中村とうよう 
五月みどり K-12 気分は五月晴れ 日刊スポーツ出版社 昭和63年 C:B ¥1,000
江藤文夫編  K1-11 1945→1983平凡ジャーナリズム 平凡出版38年の歩み  
喋る マガジンハウス 1983年 C:B シミ 非売品  ¥1,000
 
和田誠 K1-10 似顔絵物語 白水社 1998年 C:A 帯 ¥500 
別冊・話の特集  K1-9  色川武大・阿佐田哲也の特集予約オーダ中のためただ今ご注文の受付けを停止しています 99人の友人たちによる別れのメッセージ 話の特集 1989年 C:A ¥1,500 
谷内六郎  K1-7 心のふるさと 旺文社文庫 1985年 C:B ¥500 
昭和43年刊の「心のふるさと」再編集版、文章が結構多くて編集がていねい。 
谷内六郎  K1-6 谷内六郎展覧会・絵本歳時記セット予約オーダ中のためただ今ご注文の受付けを停止しています 新潮文庫 C:B ¥1,500(6冊セット) 
夢・冬/新年・春・夏・秋・絵本歳時記の全6点。掲載写真は夢
関西テレビ編  K1-5 三枝の爆笑美女対談 PART3予約オーダ中のためただ今ご注文の受付けを停止しています 講談社 昭和57年 C:B ¥500 
樹木希林 浅丘ルリ子 倍賞千恵子 酒井和歌子 司葉子 桜田淳子 いしだあゆみ 芳村真理 竹下景子ら28名登場。
歴史読本 特別増刊  K1-4R 市川雷蔵没後25周年記念 RAIZO「眠狂四郎」の世界 新人物往来社 平成6年 C:B ¥1,000 
色川武大  K1-3R 色川武大の御家庭映画館 双葉社 1989年 C:B ¥1,000  
講談社編 向田和子  K1-1R 向田邦子の手料理 講談社 1989年 C:B ¥500 

▽ 当サイトが「別冊太陽 女優高峰秀子」を手にしたのは朝日文庫で「わたしの渡世日記」を読んでいたからで、写真集とはいえ随筆や対談、年譜も充実していて高峰の集大成が出来上がったという印象を持ちました。なかでも強烈だったのが「かあちゃんの卵焼き」、著者斎藤明美の名前を刻み込んだのはここから。それからしばらくして新聞広告で「高峰秀子の捨てられない荷物」(平成13年 文藝春秋)を見つけ書店に駆けつけた。最初の一行がまたいいんですね、「その坂を、何度上ったことだろう」。大満足で読み終えたものですがそれからしばらくして(インター)ネットであまり好意的ではない感想が目についた、断っておきますが当サイト絶賛のこの本を否定的に書いたからといってどうだというのではない、逆の感想もあっていいとは思います。著者の距離の強さに“引いてしまう”というような書き方だったのですが何か小骨が突き刺さったような後味の悪さを感じた。何だろう? 2,3日してもう一度この感想を呼び出して「嫉妬」の二文字をかぶせてみた、あっけないものです、そういうことだったのか。そんなものなんでしょうね、もっともらしい理屈をつけても実体はほんのちょっとした感情のねじれだったりして。
図書館へは今どんな本が入っているかをこの目で確かめたくて時間が許す限り行くようにしているのですが横浜のT図書館の「高峰秀子の捨てられない荷物」は擦れてしまい本の角なんか丸くなっている、それだけ読まれたんでしょう。そんな痕跡をハッキリ残しています。もちろん借りて読んだ本と身銭を切って読んだ本とでは何かが微妙に違うものですが、さしあたってどんな本かは図書館を活用すれば判るからね。 続 <1月13日>

 
▽ 先日(12月初旬)NHK・BS2で放送されたニュープリント版の「おとうと」(監督市川崑 脚本水木洋子 1960年)素晴らしかったですね、冒頭で現在残されたフィルムは公開時の銀残し版ではないこと、当時のプリントを再現するために加工をほどこし編集者にチェックを依頼し、OKが出たことなどを説明していました。市川監督は大正時代の色をだしたいとキャメラの宮川一夫と相談して明るい色を抑えたモノトーンが少しかぶったような色調で撮っている。岸恵子が素晴らしい、田中絹代が森雅之が川口浩、岸田今日子が素晴らしい(ハッと驚くほどの美人看護婦として江波杏子がいる)、夕暮れの景色が街並みが立ち居振る舞いがことばが良くて、あゝ映画だという幸福感に包まれました。2010年1月号の岸恵子と吉永小百合の対談(「家庭画報」)では市川崑と初めて組んだのがこの「おとうと」で最初は途方に暮れたと話している。どう演じたらいいのかと監督に聞くと「ポカアッと口をあけてごらん」という、炊事の場面でそうしたらスッと人物に入っていけたと。「あの人ねぇ、魔術師なのよ。」(岸恵子)というのも可笑しい。「どら平太」(2000年)の浅野ゆう子もこの人はこんなに上手い女優だったの、と再発見させてくれたしいったいどういう感覚の持ち主なのか。市川作品はどこか画面に流れている空気がきれいな、そんな感じを受ける、光のトーンのせいだろうか。やはり岸恵子が主演した「かあちゃん」のビデオ録画も再度見たくて捜しているのですが年末掃除のゴタゴタで行方がわからん。 <12月29日>

▽ そんな投げかけを受けとめているのが長田の「欲望という名の女優」かもしれない、この本に登場してくる大地と関わりのあった方々は見守る人たちの証言集だとも読めるからです。例えば可愛い後輩だったと語る加藤武(「街のにおい 芸のつや」)と北村和夫(「役者人生・本日も波瀾万丈」)は大地を喪った哀しみを綴っていて胸を衝いてくる。加藤武は「顔つきだけでまわりから敬遠されていた私にとって、これは稀有な出来事だった」─ 稀有なこととは近寄りがたい加藤の風貌を気にもせず大地が「人の懐にいきなり飛び込んできた」からだ。文学座に入った時から大地は開けっ広げで「喜和子とは、あっという間に親しくなった。といっても変に馴れあわない、程よい節度をきちんと保って、目立たぬ気づかいを喜和子はしていた。・・略・・喜和子は、本当に可愛い後輩だった。」(新しい芸能研究室 1993年 「あとがき」) 北村にとってもどちらが先輩だか分かりゃしないとあきれるほど芝居に打ち込む大地を語っている。「欲望」でも加藤と北村の話が丹念に再構成されてふたりがどのように大地を“見守っていたか”を詳しく知ることができる。さらに(俳優座の)同期、東映時代の同期、先輩、演出家、劇作家、そして独立した章まで設けて大地とプライヴェートな関わりがあった高名な役者たちが大地を語る。どのことばも大地を語る気持ちは熱く、幸せな人だったんだな、と思いますね。まったくスキのない時間が流れていてその濃厚な人間関係には特有のものがありそう。その激しさ。しかし、たくさんの見守る瞳が注がれていた「大輪の花」大地の幸せは北村がポツンともらした「深い哀しみ」と隣り合わせだったのだろうか。「欲望」の著者長田は大地を追い、かかりつけの担当医にまで取材をしているのですが“どうして?”と立ちすくむしかない淵まで辿りついたように見える。母親あるいは出生のこと、寿命のこと、こんな浅いところでどうしてという事故現場のこと、病のこと・・・ここから先は分からない翳が立ちはだかる。無責任な推測を抑制して長田は「いとおし」の言葉で著書を閉じる。当サイトが感じた無念はまだまだ現役で続けることができたのにということはもちろんですが一歩が踏み出せない<私たち>を蘇生させる女優がいなくなったという感情に近い。大地が召された後の時間はそこだけポッカリ空白が占めるような印象すら感じる。「欲望」を読みながら浮かんだ音楽は山崎ハコの「サヨナラの鐘」でしたが・・大地喜和子にはエンド・マークは果たして打てるんだろうか。なぜかそんな気持ちに捉われる、不思議な人です。 <12月22日>

▽ 承前 こう書いたからといって大地が奔放な恋多き女ではなかったと言いたいのではなく、人はそれぞれの振幅を持ちながら多面な顔を見せ、簡単に括れるものではなくハミでてしまうところがむしろ面白いということだけなのです。ひとつに括れば判りやすいけれどそこからこぼれ落ちるものに真実が隠れていたりする、光と翳が絡み合い菩薩の温かさと刺すような冷やかさが同居する。
先日アップした佐藤忠良の本「触ることから始めよう」、子供をデッサンした表紙を眺めながら娘さんである佐藤オリエのことが気になって書庫棚を追いながらもしやと思って「女優であること」(文藝春秋 関容子)を引っ張り出したらビンゴ! 佐藤オリエがそこにいた。その話が絶妙。役者になりたいって父に言ったら、反対されると思っていたのに「・・・そんなことはなくて、じゃあ五十歳になって本物の役者になれ、って言いました。兄が医者になりたいと言ったときは、金儲けの医者にはなるな、って言ったし、そういう父なの。・・中略・・今の世の中、早く花開かないとやっていけませんよね。でも父は決してゆるぎませんでした。役者になって、十年間は稼ぐなんてことは考えないでやる、って約束するか?って、言われましたよ」(170ページ) 元はと言えば佐藤忠良の名は山根基世の本で知り、“50歳になるまで喰えなかった、けれど真面目にコツコツやっていれば誰かがきっと見ていてくれる、そのうちに何とか食べられるようになった”というエピソードが強烈だったからです。娘の佐藤オリエも「父が彫刻で食べられるようになったのは、五十歳ごろからですよ。有名な『帽子』の連作だって、六十を過ぎてからですもの」(167ページ)と話している。当サイトは90歳を過ぎた日本の誇るべき人といえば岩谷時子と佐藤忠良だと思っています、その顔のすばらしさ。斎藤明美の「最後の日本人」の佐藤忠良の章はやはりというべきかその「顔」から書きだしている。ゾクッとくるような凄いことをこの本で言ってますよ、ひとつだけ引用させていただく。

「いかに深くなるか。紙一重で俗になる。『これは売れ口だぞ』なんて思った途端、ダメになる」(「最後の日本人」斎藤明美 清流出版 281ページ なおこの本にも佐藤の写真が掲載されている、まあ見てみてください、ただただ呆然と見つめるばかり。 

横道にそれてしまった、実は「女優であること」を引いたのは渥美清や若山富三郎、勝新太郎のエピソード、その意外性なのです。渥美清を語る佐藤のことばがこうなのだ、「その人の話す言葉が絵になる人と、音楽になる人といると思うけど」と語りだす、エッと思わず読み返してしまった。そうなの? ことばが絵になるか音楽になるかっていう捉え方じたいかなり特異ではなかろうか、「渥美ちゃんはその両方だった。彼の話を聞いていると、そのへんに星がキラキラしちゃって、音楽のように聞こえる。」 TVの「若者たち」で佐藤に注目した渥美は「泣いてたまるか」で指名してくれた、同じくTV版「男はつらいよ」にも出演し映画の「男はつらいよ」第2作にも散歩先生(東野英治郎)の娘役として出ている。心にかけてくれた渥美は皆でお金を出し合ってTV「智恵子抄」出演の時に「父に智恵子像の彫刻を頼んじゃって、打ち上げの日に私にプレゼントしてくれた」という。さらに、言い寄ってくる男たちに対しても気にかけてくれた。渥美も後に共演した若山富三郎、勝新太郎兄弟も佐藤を大切にしてくれ近寄ってくる「イワシ男」から守ってくれた、と。
当サイトの勝手な推測ですが守るべき何かを渥美や若山・勝は一瞬のうちに佐藤オリエに感じとったのではないだろうか。そんな父なんです、ゆるがない人ですと語る娘と十年は稼ぐことなんか考えるなという父、そんな親子だもんなぁ。それにしても「星がキラキラしちゃって」とはどういう感度の方なんだろう。さて、その佐藤オリエと大地喜和子は同じ世代(1943年 昭和18年生)。大地には見守る人はいたのだろうか。 続 12月15日

▽ 承前 「芝居そのものが好きなのか、女優であることが好きなのか」と問いかける和田とのやりとりは映画監督あるいは演出家であり脚本家でもある和田と一途な女優とのかなり密度の濃い対話として読むことができる。当サイトではとても口をはさむことが出来ない世界。一段落したところで和田がひょいと血液型を尋ねている・・・
大地「私、A。大体Oに見られるんです。カラカラ笑うから。」 すぐ続けて「気の弱い反動なんですよ。」とエッと聞き返したくなるような答え方をしている。
和田「気が弱い?」
大地「弱いですよ。」
和田「くよくよしたりするの。」
大地「本当はね。でも、それを見せない。家に入ってひとりでくよくよするんです。反省ばかりしてるんですよ。」 [注]
「奔放」と噂された女優が一人でくよくよして反省ばかりだという。長田の「欲望」では大地がたった一度だけ結婚した相手への聞き取りを断念した経緯が記されている、ところがこの後に続く和田との会話では結婚への心づもりについて(そして破局の暗示についても)話している。和田が「素敵だねえ。」とポツリと受け答えをしているところ。
大地が語った結婚への心構えはやはり奔放とはほど遠くむしろ古風という方があたっている、「素敵だねえ」と小さな拍手を送った和田は優しい方だ。普段話さないことを言ってしまった大地にとっても気持ちの良い時間だったのでしょう。
[注]引用は『話の特集』昭和60年2月号。後に「インタビューまたは対談」第1巻に収録。 <続> 12月9日

▽ 承前 対談の名手吉行淳之介から学んだことは会話の流れに逆わらないこと、「抽象的な話より具体的な話の方が、人間の深淵を言い当てること」だというのは和田誠(「また、近いうちに」大和書房 1986年 103ページ)。前にも書いたことですので繰り返しませんがキネ旬の追悼勝新太郎特集号での和田との対談(1997年)には唸りました、そして和田と森繁久彌との対談も森繁が「恐しい方ですね」と答えたようにあれもこれもと森繁の出演作を観ている和田に驚いている(「話の特集」昭和61年11月号 近日アップの予定です)。和田の対談は演技論とか映像論とか観念に逃げないですこぶる具体的なのだ。文学者や人文学者たちの対談は前提としているテーマやそれぞれが思い浮かべている事柄が具体化されていないために何がなにやらチンプンカンプンで呆然としてしまうことが少なくない。当方の頭の問題だと思っていたのですが(それもアリですが)対談の、つまりは会話が抽象的でホントは自分でも判っていないのにハッタリまで繰り出して喋りだすから空回りをしているのではないかと疑ってしまう。70年代前後の論壇は瞑想談義がやたら目についたのではなかろうか。
大地と和田の対談は普通のことばでキチンと具体的に話が進んでいく、最後に大地が「今日はあんまり人に言ってないこと言っちゃった」と話しているように中味が濃い。長田の「欲望」では東映時代の履歴を消すことに大地がこだわっていたとあり(重要な証言者として山城新伍がでてくる)、なぜ末梢したがったのかについても筆を進めているが和田との対談ではあっさりその時代のことも語っている。短く合いの手を入れ問いかける和田の会話は話し手から見れば川の流れを遮らずコロコロ転がっていく川底の小石のようだ。例えば映画時代の話題で「僕は、日活の『花を喰う蟲』見てるんだけど」の一言をはさむことで一気にリアルになっていく。 続 <12月2日>

▽承前 「生きる証しを自らに問う」とは青島幸男が対談のなかで言い直したことばですが的確な表現かもしれない。一歩が踏み出せない、迷いと惰性の繰り返しをふっ切って「喜和ちゃんたちの芝居見て、私も頑張らなくちゃと思ったわ」─ ゲイバーの人たちがいっぱい楽屋に来てそう語ってくれる、嬉しいと話した大地、「マンネリで生きてちゃいけない」─ 大地の芝居を観て仕事を変えたり自殺を踏みとどまる人たちの声が伝わってきたとある。そんな声援に励まされるという。、「欲望という名の女優」にもゲイの方たちのエピソードが記されていますがそれは大地の出棺の場面。

「棺を霊柩車の中へ運び入れようとしたときだった。野太い男の声がした。/傘もささずに手を合わせていたおかまのおじさんやお姉さんたちだった。/“キワコ、ありがとッ、幸せだったよ”・・(略)・・唇を震わせ、数珠を握るその声は、彼が心を込めて叫んだサヨナラの数々だった」(34ページ /は行換えを示す)。

大地の芝居で蘇生した方たちが少なからずいた、「やったげようか」を忘れないと刻んだ<私>もたぶんその一人でしょう。指をゆっくり開いてくれて低音の囁きを聴いた日の帰りの場面、「夜明けの町にカラスがにぎやかに鳴いていた。少しフラフラする頭で、マンションの四階を見上げると、両手を大きく振ったキワコさんがいた。にこにこ笑ってピョンピョン跳んでみせた。」(31ページ) すぐ続けて(私は)「なんだかキツネにつつまれたような気分でゆっくりと坂を登って行った。」 

大地が跳んで見せたのは楽しかったヨ、なのかくじけるな頑張れなのか・・・。 続 <11月25日>

▽ 承前 太地喜和子の対談ものは結構多い。「欲望という名の女優」で対談について触れているところがある。著者は大宅壮一文庫でそのほとんどを読んだが「読み物として際立って面白い」、太地にその完成度の高さを尋ねると「だって・・・・全部あたし見て、直してるんだもん」(129ページ)と答えたという。当サイトが印象の強い対談は二つです、太地の手が加えられたかどうかは判りませんが青島幸男との対談と和田誠のそれ。
青島幸男 対談集 ホントはどうなの・・・
この対談(集)はとても雰囲気が良くて中年男(青島幸男)の照れや強がり、ハニカミがでていて(特に太地と夏目雅子の章)気に入っている本。太地は対談の始めのほうで青島について「・・・ああ、よかった。お話しやすそうな方で、あたし、初対面の方とは少し(酒が)入らないと、非常にテレ性でダメなんです。」 青島先生という感じかなと思っていたのに話しやすそうで良かったという太地に「ぜんぜん、“先生”が身につかなくて」と返し笑う太地と一気に打ちとけていく。
太地がなぜ芝居に打ち込むのか、ゲイバーの人たち、OLやってた人たちが近松を観て「人生短いんだからマンネリで生きてちゃいけない」「自分でやりたいことをやっていくのが人生じゃないかしら」と元気を取り戻してくれる、「生きる証しを自らに問う」声が熱く届いてくると語る太地。頑張ろうって気になるのは芝居しかない、「一つ決めたらこれだけ、っていう性格。だから、私は男が好きな恋多き女とかなんとか見られてますけど、芝居ほどは(男に)興味ないんですよ。」 青島は対談後の一言で「最も心に残ったのは、眼の輝き」で“菩薩の慈愛と闘志を感じさせる鋭い光”と形容している。 続 <11月18日>

▽ 承前 「欲望という名の女優 太地喜和子」という本を興味本位で読みだした当サイトなのに場面が急接近してきて旋回し始めたのは本を開いてそんなに時間は過ぎてはいない頃、それは「やったげようか」の一言から。
やったげようか
やるとは“殺る”のことで、まるでTVドラマの復讐劇のようですが<私>が太地と出会って間もないころの一場面が描かれている。あんたの(好きな)男はどんなふうだった、というような太地の問いかけに対しての話である。
<私>は本当は辛い思い出 ─ 一言でくくれば男の裏切り ─ を「笑ってもらうつもり」で話した。しかしテーブルの下に置いたその手の指は爪がくい込み屈辱を忘れてはいない。じっと耳を傾けていた太地はどう反応したのか。
「テーブルの下にあった私の左手をゆっくりと引っぱりだしたのは、キワコさんだった。・・(略)・・あんたまだ、そんなに力を入れないと、そのことをしゃべれないんだよ」(28ページ)
爪のくぼみがつくほどに握りしめた<私>の手指を太地が「指の一本、一本をゆっくりと開かせた。」 ・・・そして「やったげようか」であり、「こんなにまじめに生きているのに、そんな目にあうこたあねえよ」のことばがかぶさる。<私>は今でもその声を忘れていないとある。
「殺ったげようか・・・・今もあの声を覚えている。」
<私>は書いている、太地は人の痛みの分かる人だった、残飯をあさるおじさんも総理大臣も「ひっくるめておなじ」ように見ていた人だとも記している。
しかし、<私>はなぜそのことを、辛い想いを書いたのか。太地亡き後、適当に他人のエピソードに装って脚色しようと思えばそうできたはず。本文に書いてあるからといって軽々しく引用することがはばかれるほどの痛みを明るみにださなくても誰も責めはしないだろう。そうしなかったのは、たぶん、“<私>は太地喜和子の妹(分)だ”という誇りに賭けたからではないか。「自分の身の丈を縮めて人の話に耳を傾ける人だった」(31ページ)、「人前で女が泣くのが大きらいな人」「嫌いな人に対しては反抗期の少年のようにふるま」う人・・・太地喜和子を書くのに小手先の技巧では失礼だということを<私>は知りぬいていたはず。<私>がホレぬいた太地喜和子 ─ この本はその魅力の在りかを探る旅のようだ。けれどもその旅は太地が背負った十字架を自分自身も背負いながらの旅のようだ。先に「緊張の糸が強すぎる」と書いたのはそんな辛さが伝わってくるからです。太地が(自分のことを)「書きなさいよ」ということばを残したとはいえ、<私>にとって太地のことはどうしても書かなければならないものだったのでしょう。 続 <11月11日>
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2009年 サウンド備忘録
誰にでも何年かにわたって何度も繰り返し聴いてしまう歌があるもの、もちろん極めて個人的に好きな歌なのですが、それらもいつのまにか流されて遠くへいってしまう。忘れないうちに少しだけ記録しておこう、2009年の音楽ノート。
・キャリー・アンダーウッド(Carrie Underwood)が歌う・Stand By Your Man(スタンド バイ ユアマン)、もう素晴らしいですね、パワフルで沁みわたる。女もつらいけれど男もつらいんだよ、心が冷えロンリーな時もある、アンタのいい人を支えてやりなよ、寄り添ってあげなよ・・・とまぁ手前勝手な解釈ですがそんな感じの歌詞かな。
http://www.youtube.com/watch?v=rJntBTx_KKs&feature=related
キャリーが歌う“サウンド オブ ミュージック” や “I Told You So” もグッときます。
・Soul Man こういうのを聴くと世界(の目標は)はPeace Love No Warしかないですね、一緒にリズムをとって愉しそうで、おじさんたちも頑張ってますが少々後半息が切れてきたりして。
http://www.youtube.com/watch?v=KLHIGbj2p04&feature=related
日本でもこんなセッションがあったようで世界はジョイントできるという誇り高きシーン。当サイトにとっては強欲堂書店の店主でもあるソウル・マンも登場。
http://www.youtube.com/watch?v=Rb_s1dt0V64
そしてこの名曲 http://www.youtube.com/watch?v=iRGrXwoVn8Y 2曲1/9修正・追加
・和田夏十を偲んで、作詞した木枯し紋次郎のテーマ曲、もちろん市川崑劇場。
http://www.youtube.com/watch?v=wXXXwTepKpc
・歌詞が(そしてサビのところが)気にいっている。「みんな時代の渦へと/知らずに落ちてゆくけれど」とか「変らずにいる勇気を」とか山川啓介(作詞)に拍手、八神純子のNATURALYは今も新鮮。CDは八神純子ポップ・ヒッツ 2006 YAMAHA
http://www.youtube.com/watch?v=cOcki_PSIlY
・2009年の収穫のひとつは長田渚の「欲望という名の女優」大地喜和子でした、「サヨナラの鐘」が鳴り響く、ここにも坂道がでてきます。
http://www.youtube.com/watch?v=1RY8T4DaCjg
・昨年(2008年11月の備忘録)「高峰秀子の流儀」(斎藤明美)のエンディングで浮かんできたのが岩崎宏美「Dear FriendsⅡ」に収録されている「白いページの中に」、元祖は柴田まゆみ。
http://www.youtube.com/watch?v=kvGQo7UHAdc&feature=related
岩崎は本田美奈子の「つばさ」を受け継ぐんだと「Dear Friends 3」でカバーしていますがこのシリーズは編曲が当サイト好みで「つばさ」もオーボエの音色が響き歌声が突き抜けていく。岩谷時子の歌詞の凄さを思い知らされる。勝手な空想ですがC・アンダーウッドにも歌ってほしい。元祖はもちろん本田美奈子。
http://www.youtube.com/watch?v=ItnWET1LTXw 
・2003年、2005年、2007年と奇数年に訪れてきた木皿泉のドラマたちも2009年はとうとう出会うこともなくまたの機会を待たなければならない。夜空の星になったのか、エンディングに流れていた歌もどこかさびしげだけれどまた会おうぜ。
http://www.youtube.com/watch?v=XwMG4B_Q8YM
・スペースがなくなりましたので年をこえて来年こそ「小さな幸福」が失われることなく、「昨日の哀しみ」を流せてゆける年でありますように・・・岩谷時子の願いはわれわれの願いでもあります。
http://www.youtube.com/watch?v=8ekZ1JZXWDM             <12月29日>

                                  

緊張が走った
▽ このところ備忘録も書く気にならずボンヤリ過ごしていたのですが例によって婦人画報の12月号の例のページ(「高峰秀子との仕事 第12回」)をめくっていたらエッと小見出しが目に飛び込んできて吃驚、あわてて頭から読みはじめた。松山・高峰ご夫妻も考えてみれば80歳代の半ばだからこういうこともありうるのでしょうが大事に至らなくて良かったです。それにしても頑固というのか何と云うのか・・・緊張が走った瞬間でした。
もうひとつ今回掲載した小雑誌「サントリークオータリー別冊」の対談から何かが動きだした。その対談は太地喜和子と長田渚の対談ページなのですが何ともいい雰囲気なんだ、これが。長田の写真なんて涎(よだれ)を垂らさんばかりのとびっきりの笑顔、読んでみると太地は長田を妹分だと呼び長田にとって太地はあこがれの姉だという間柄。長田は女優になりたくて太地と同じ学校をめざすのだが卒業して“太地喜和子を抜くことはできない”と女優の途を断念する。その後仕事で太地と初めて会うことになった時、長田は「感激で震えましたね。」 受けて太地は「対談のお仕事なのに、花束を抱えて飛んで来るなんてね、アハハハ・・・」と笑い飛ばす。いい場面です。憧れの人がいるということ、打ちとけて姉、妹と呼びあえる関係になって同じ時代を過ごしていけるという幸福。長田の笑顔はすがすがしい。
そういえば長田には太地についての著書があったはず、そう思って早速取り寄せ読んでみた。本は「欲望という名の女優 太地喜和子」(平成5年 角川書店 現物未確認ですが文庫にもなったようです)。妹分の長田がどう書いたか、面白くないわけがないという予感。
最後の「いと、いとおし」にたどりつくまでアッという間でした、読んで大正解。長田にとってかけがえのない姉を自分に重ね、突き離し、たじろぎながら冷静に証言(者)を積み重ねていく。緊張の糸が少し強すぎるのではと感じるほど。 続 <11月5日>

このページの下の方にも地味ですが「均一台」コーナーがあります。
2010-NO.9  3月 4日入荷 
本は各掲載ページへ順次シフトしていきます。
表記は順に著者名・品番・タイトル・版元・刊行年度・本の状態他・販売価格
       
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2010-NO.8  2月25日入荷 
               
備忘録のようなもの

送料は一律200円、お支払いは本が届いてからの後払いです。3月より5,000円以上のご注文については送料無料といたします、ただし代引、海外発送は実費のご請求となります。

▽承前 その動脈を流れる感度というのかセンスというのかあるいは美意識というべきなのか、そのうねりはとどまるところを知らない。「震える弱いアンテナ」(注)がヒシヒシ伝わってくるデビュー作「巴里ひとりある記」そして「まいまいつぶろ」以後の著作を追っていくとそんな太い線を感じさせる。そして斎藤明美の「高峰秀子の捨てられない荷物」に続くこの本で高峰は時代を隔てた光でもう一度捉えなおされる。「自分の足で立ちたい」というけなげで震えるアンテナは何を取り込み、もみほぐし、自分なりに組み立てたか、そこんところをジックリ伝えてくれる。
当サイトがとてもかなわないと感じるのは高尚なことではなくてむしろ取るに足らないような高峰語、俳優の上原謙を<削りたての鉛筆のようだ>とパッと捉えてことばに移しかえたり、コンビニのサンドイッチを<あそこのチビマーケットで買ったの>なんていいですね、ホテルのティールームの一角、にぎやかな有閑マダムたちを横目に<家へ帰って本でも読め>と言い放つ、好きだなこういう真っ当なオバさん。極め付きは「あんまり憎ったらしい女に書かないでね」と席を立つ地名変更断固反対の高峰の剛速球。高峰の断固反対は昭和52(1977)年3月2日の朝日新聞(朝刊 東京版?)に載っている記事ですが、「住居表示の変更」により高峰が住んでいる麻布永坂町の町名が変えられそうになった事件。
一部を引用したい。(町名を変える)「理由がないんだ、理由が。なに、なに、住居表示は住んでる人のためのものばかりじゃあないって、冗談じゃないわよ。じゃあ、だれのものよ。」今の町名なんて別に由緒なんてないからこの際スッキリした表示に変えましょうという区役所側の意見に「そこっ、そこが違うんだ、狸の穴だって、長い坂だって、それが土地ってもんだし、人間が受けついて来た愛着っていうか、歴史なんだ。わからないのかねぇ。」そして「むこうがまがってくるんなら、こっちだってまがってくから。ええ、やりますよ、何度だって、反対なものは反対なんだ。」 こうして「憎ったらしい」に戻る。 続 <2月18日>

(注)「あらゆる仕事/すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・」 茨木のり子 「汲む」 /は行替 「巴里ひとりある記」を読むといつも感じるのはこの詩の一節。

       

▽ こうきたか。いきなり直球。“いつでも、ここにいますよ” そう語りかけてくるような表紙で登場です。やっと刊行された「高峰秀子の流儀」(新潮社 斎藤明美)。
通読してみて改めて思うのは高峰秀子という方の重心の低さ、底辺の広さ、当サイトにとってそれはこうありたいひとつの座標軸のような存在。どこへ還るか、どこから始めるか、喪ってはならないものは何か、を感じさせてくれる方なのです。こう書くと偉人から教訓めいたことを導き出す類いかと誤解されやすいのですがそうではなくて一言で言えば存在そのものが魅力的だということ。だから読み手一人ひとりが自由に好きなエピソードを探すことができるし自分なりの補助線や延長線を描きたくなるのではないか。初めて高峰に会った時を著者が書いている、高峰から返されたことばに「その時、漫画で言うなら、私の頭にピカッと電球が点った。/いいぞッ、この人!」(同署 282ページ /は行換え)。当サイトにとっても「この人、いい」、そんな連続なのだ。 続
 <1月27日>

▽ 高峰の本や対談のことばはいつ読んでも、例え一度読んだものでも再読してみるとまた「電球が点る」。どこかで聞いたような考えや上っ面をなでたような落とし込みがない(と当サイトは感じる)。平凡な暮らしのディティールがぎっしり埋め込まれているからだろうか、人が真面目に話しかけている最中に「このなべがねぇ」なんて、こういうところをすくいあげて書きとめてくれるところが「高峰秀子の流儀」のお楽しみのひとつ。誰よりも平凡で自然な生活を望み、普通の暮らしを営むことの難しさを知りぬいていた方であることは「女優と言う名の人形」(文藝春秋臨時増刊 映画讀本 S28)を拒否し「平凡で、誠実で、ありのままで」(まいまいつぶろ」)の生き方を願い、今こそ「素人に還る」(私のインタヴュー)と宣言した高峰の「綴りかた」のいくつかをたどれば浮かびあがってくる動脈だと思う。 続 <2月3日>

 サイト内での人名については、敬称はすべて略させていただきました。予めお断りをしておきます。

6      7     8     9     10

1      2      3     4    5

これまでの備忘録
2006年8月─
2009年10月
       
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▽ 新年そうそう笑わせて(そして少し泣かせて)もらいました、「高峰秀子との仕事 第14回 高峰さんが授けてくれたもの」(斎藤明美 婦人画報 2010年2月号)」のことです。知らなかったなぁ、別冊太陽の「女優高峰秀子」の目次にデザイン担当の方の名前がでていますが「高峰秀子の捨てられない荷物」(文藝春秋 平成13年)の装丁も同じ方だったんですね。友成 修とあります。1冊の本が出来上がるまでに、それも著者にとって最初の本だからなおさらのことでしょうが、こんなにいろんな方の想いに支えられ手を貸し方向づけしてくれる方や見守る人がいる、仕事というものはこういうものなのだと改めて気づかせてくれます。 続 <1月8日>

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▽ 承前 高峰の舌鋒は快調そのもの、運動の甲斐あって麻布永坂は変更されることはなく歴史を受け継ぐ。(注1)
当サイトは高峰の著書はもちろんのことですが対談などの口跡が好きで目につく限りは読んでいる。雑誌などでの一回限りの対談が結構あるはずだしこれから発掘するのも楽しみのひとつ。どれを読んでもまったく外れなし、ことばが弾んでいきなり核心に切り込むスリルまで味わえてワクワクします。先の新聞記事など取材の記者も笑いを噛み殺しながら記事をまとめたのではないか。(松山善三の)父との会話が「わたしの渡世日記」(朝日文庫 下巻 282-283ページ)に紹介されていますが、こちらもおかしいですね、「大切な舅のヒゲがチャップリンそっくりなので、彼を『チャップリン』と呼んでエバっている。」と書きだしているところです、「チャップリンと私は、いつも松山善三をサカナにしてはお互いのウップンを晴らして笑いこけるのである。」 嫁が舅に電話で「チャップリンもたまには東京へ出ておいでよ、善ちゃんも元気よ」と呼びかけるのも相当おかしいけれど(善三が)「あんまり分かんないこと言ったら、かまうことないから秀子サン、殴っちまえ」「ホンジャ、一発やるか!」なんて笑いあっているのも変わっている。いい雰囲気でしょ。「わたしの渡世日記」は当サイトから見るとあまりにも陰影が深くどうしても緊張して読んでしまうけれど、高峰の大切にしているやわらかな断片がキラキラ光っているところも気に入っている。高峰秀子には普通で平凡なオバさんのセンスが中心線にあるのだろう、ここは絶対外さないという心棒。
高峰秀子の「流儀」というと品格や上質ということばと同じで少々眉につばつけて読む方もいるかもしれない、しかしこの本はニンゲンの優劣というよりそこを超えた人の素の良さをていねいにほぐしてくれて想像を駆り立ててくれる。「震える弱いアンテナ」がくっきりとその姿を現す、その時を捉える瞬間なんてことばにしがたいほどの魅力があります。それが斎藤が見据える「流儀」なのだろう。「ふわっとしていてね、しわくちゃになっても滋味があって。」─このことばは森本哲郎との対談にある高峰のことば(注2)ですが「高峰秀子の流儀」のなかに流れている時間や匂いも同じではなかろうか。
その時間、その匂いは子どもの頃に遊んだ空き地や朝もやのあぜ道、夕暮れの風景、ビルに変わってしまう前のオカミさんたちの笑い声まで聞こえてくる長屋の一角へと連れ出してくれる。映画「綴方教室」の空き地、「秀子の車掌さん」のはるかな道かな。時代も私たちも随分遠いところまで来てしまったけれど「なりたいなあ」と願っていた<自分>ってこうだったんだろうか。
「高峰秀子の流儀」には座標軸が、高峰の巧みなことばで言えば「人間のおへそ」があって、そこへ私たちはいつでも帰ってゆける。終わりのない始りか。
「ふわっとしていてね、しわくちゃになっても滋味があって」そんなおばあちゃんに高峰はなったんだろうか、それともまだまだ途中よと言うのだろうか、「私は、いつでもここにいますよ」と表紙の高峰は女優の顔してほほ笑んでいる。けれども写真をクルリと回すと聞こえてきませんか、「ほぉら、出来たよ、熱いうちに食べなよ」と暮らしの中の声が、笑い声が。 <2月25日>
 
(注1)「東京人 2005年5月号 東京の地名」が詳しい、小林信彦が両国で近藤富枝が矢ノ倉町だったのが東日本橋に変更されて子どもの頃から親しんだ土地の名前が素っ気なく変えられたと語る、「対談 地名が消えて町が変わった。 近藤富枝 小林信彦」「町名はいかに守られたか。 石村博子」に反対運動にたずさわった松山善三の話が紹介されている。 
(注2)高峰が「この梅干しのようなおばあさんになりたい」という手紙を添えて森本へ梅干しを送ったときのエピソードからの発言。「ああいう梅干しばあさんになると思うよ」「なりたいなあ・・・」。「テレビエッセイ すばらしき仲間Ⅱ」(ティビーエス・ブリタニカ 1977年 「人間・歳月・出会い」)

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