| 新映画 ■ B2-992 新映画陽春特別号 日本映画出版 昭和22年 C:B 表紙くすみ ¥1,000 演技放談 大河内伝次郎 高峰秀子 池部良 井川邦子 原保美 折原啓子ほか。表紙は高峰秀子、B5版サイズ44ページ。 |
| 讀賣新聞社会部編 ■ B2-998 味なもの 1953年 現代思潮社 C:B ¥1,000 よくある著名人による旨い店探訪の本ですが見逃せないのが文章に寄稿者直筆の絵がそえられていること。それぞれの方がこの店のこの味を心底好きなんだということがじわっと伝わってきます。高峰秀子「パリで恋う日本の味 永坂の更科」 土門拳「濃いコーヒーに砂糖たっぷり 喫茶店あれこれ」 丹下キヨ子「向島名物の精進料理 雲水」 三宅邦子「〝世人奉仕〟に洋菓子 柏水堂」 山本嘉次郎「縄のれんのフランス料理 銀座の十八屋」 池部良「お茶漬けと自慢の名産 ぶぶや」・・・ |
| 小林信彦 ■ B1-103R いちど話してみたかった 小林信彦デラックス・トーク 情報センター 昭和58年 C:B 小口シミ ¥1,700 大瀧詠一 ビートたけし 安藤鶴夫 志ん朝 長部日出雄 渡辺武信ほか。 |
| 立木義浩 ■ B4-998 カメラ毎日別冊 私生活 加賀まりこ 毎日新聞社 1971年 C:B シミヤケ・小ムレ ¥7,500 LPサイズくらいの大型本(左右255mm 天地295mm)、この写真集の良さはエロスというより少女のようなひとりの女が実に1970年代だなぁという時代の中で躍動しているところ。キャピキャピ感、名著かどうかは疑問ですが古びてくればくるほど70年代の気分が蘇ってくる。 |
| 中井貴恵 ■ A1-989 貴恵のニューイングランド物語 信号三つの町に暮らして 文化出版局 1990年 C:B ¥800 ハノーバーというその町で過ごした「自分の三十年の人生でいちばんピカピカに輝いた私」(180ページ)の記録、著者の初めての本ですがこれぞ名著。大学在学中に芸能界へ、女優・タレントとしてひた走りに走って10年を過ぎようとしている、その時著者は「二十八歳、あと二年で三十才を迎える現実─女性としていちばん輝くべきこの時に、私だけが、人を愛することにも人に愛されることにもなにか縁遠いところにいるような気がしてならなかった。心のどこかが満たされない虚しさ」は消えない。「何もかもから抜け出したい」(引用は後の「娘から娘へ」(角川文庫 平成10年 150-151ページ) 著者は抜け出したその地でなんと「赤い糸」をたぐりよせ、そして「信号三つ」の小さな町で暮らす。この本の最後のところで著者はもうすぐ誕生する生命に語りかけるのだ、「安心して生れていらっしゃいね」と。ここのところで涙する方もいるのかもしれませんね。21世紀に伝えていきたい本のひとつ。 |
| 中井貴恵 ■ A1-990 娘から娘へ 角川文庫 平成10年 C:B ¥400 著者のやさしさは例えば「夏目雅子さんのこと」の「・・・マコちゃんのほうを振り返った」のところにどうしようもなく滲みでている(と思う)。角川文庫でこの続編「赤毛のアンを探して」もでていますがすべて絶版品切れ状態、強力ですよ貴恵シリーズ。 |
| 三遊亭圓歌 ■ A3-960 若者よ! 日乃出出版 1989年 C:B 署名入 ¥1,300 若者たちを叱る圓歌ボヤキ節、新書判。 |
夏本番、もう少し手加減してよといいたくなるほどの連日の暑さですがペットボトルはこの時季は必携ですね。休みの時間は涼しいところで本をひもとくのが愉しみでもありますが汗がひくまでボオッとしてからおもむろに。 7月24日
| 藤本義一 ■ B3-984 ケッタイな対談 読売新聞社 昭和48年 C:B 帯 ¥1,500 嵐寛寿郎 鴨居羊子 一条さゆり 花菱アチャコ 秋田実 コシノヒロコ 團伊玖磨 松鶴ほか、こってりしてますよこの対談。 |
| 五月みどり ■ B3-986 五月みどりの男ごよみ 講談社 昭和58年 C:B ¥2,700 横山やすし 左とん平 愛染恭子 小松政夫 ディック・ミネ 柳家小さん 近江俊郎 白川和子 松鶴 なべおさみほかと続く奇人変人揃い。 |
| 週刊朝日編 ■ B3-987 飯沢匡対談集 遠近問答 朝日新聞社 昭和47年 C:B ¥700 中山千夏 獅子文六 篠山紀信 渥美清 棟方志功 米朝 赤塚不二夫 土井勝ほか。 |
| 扇谷正造 ■ B4-998 顔で笑って心で泣いて グラフ社 1989年 C:B ¥500 対談集ではありませんが何といっても高峰秀子との対談(「三十年は自分のため、三十年は夫のため」)がおすすめ。講演会で都々逸をやって大喝采を受けたエピソードから始まる。 |
| 嶋田良子 ■ B3-988 毛皮のおしゃべり 嶋田良子の魅力対談 サンケイ出版 昭和59年 C:B 小口シミ ¥800 不思議な対談集、越路吹雪から始まってラストが岩谷時子、雪村いづみ 依田義賢 芳村真理 秋山ちえ子 檀ふみ 坂東玉三郎ほか。著者は毛皮コーディネーターと記されていますが対談の内容は「毛皮」の宣伝でもなければファッション談義でもなし、ゲストの近況や身辺雑記をていねいに聞きだす。 |
| 中井貴恵 ■ A1-989 父の贈りもの 文化出版局 1991年 C:B 帯 ¥800 下記の鼎談を目にしていなかったらこの本を手にとることもなかったでしょう。3回分のうち初回のみあげておきます。 http://www.youtube.com/watch?v=iFhW1LVuXDU&feature=related 30歳代が見えてきた未婚(当時)と思しきオンナたちが何をくっちゃべってんだろうと眺めているうちに頬の筋肉がゆるんできて思わずクックッ笑ってしまう。山本薩夫、市川崑、黒澤明も登場してくる。さてこの本ですがいい本ですよ、日本映画の黄金時代の最良の監督。役者たちが追憶のなかに沈殿していて幼・少女時代の中井を育ててきたんだなぁと感無量。本名は木下恵介が名づけ、小津安二郎と病室でお絵描きをしたりオールドファンが聞いたら孫を愛しく見つめる感情になるのではないか。亡き人から今を生きる人へ、そして新しい命へ、命のバトンタッチはこんなかたちで行われていくのだろうか。 |
▽ 承前 著名人のライフスタイルは少し水割りして眺めておくぐらいでいいんだという内館のアドバイスには同感なのですが、当サイトは「上質でおしゃれ」なライフスタイルを笑いとばすエネルギィというのかアイロニィというのかそんなセンスが昭和から平成へ時代が変わりどんどん減っていったような気がしている。難しいことではなく世間話や井戸端会議の光景が消えていっているということ。老若男女がどうでもいいようなことをグチャグチャ喋っているあの時間です。お年寄りからは子どもは宝よ、なんて台詞がポンとでてオシャレもいいけどお金ほど使いやすいものってないからそこんとこ気をつけるんだよ、とか最近は先生も大変だよ、少し子どもにゲンコくらわしたりすると親からどやされちゃうってよ・・・などなど話がどこへとんでいくか判らないけれど世間は案外いろんな顔を見せてくれた。ついこの前までは。山根基世の「『世間話』のすすめ」(「ことばで『私』を育てる」)には一流大学をでた若い世代にこの世間話の積み重ねがないことに驚き目的のないおしゃべりがグチで終わってしまうことも多いけれど時として滋味深いものへ展開していくことがあることをスケッチしている。この本がでたのは1999年(文庫は2006年)ですが10年近くを経て目的のないおしゃべりの輪がもう少しご近所や世間にできていれば同じ方向ばかり向きたがるということに距離が生まれるのではなかろうかと感じている。人と気軽にバカを言ったり何の役にもたたないムダばなしやつきあいの時間が絶対量として不足しているのではなかろうか。思想や生き方、暮らしのスタイルとかのレベルではなく山根のいう泡のようにもれてくることばが随分痩せてしまい、あっても閉ざされた世界だけで交わされているんじゃなかろうか。仲間うちだけの話題とかね。(感情の)スイッチを消して表面的に人とつきあうことに慣れてしまって逆にTVの映像や雑誌などのスッキリ整理された活字媒体に依存してしまう、リアルから遠ざかってしまうことに慣れてしまったんじゃなかろうか。「願いは『普通』」、人としての素をたっぷりもった世間話の時間が今の時代にどれほど重要か、ギヤマンのグラスだって、何云ってんだいスカしてんじゃないよ、という掛け声を聴くだけでも気持ちが随分軽くなるんじゃないか。どこ行きゃあ買えるんだい、なんて云ったことひっくり返して笑い合ったりして。しかし、われわれが仰ぎ見た世代は今や人と会う機会さへ失われていて今はひっそりと暮らしている、そんな時代かな。 <7月24日>
備忘録のようなもの番外編 7月6日
映像と音で伝わってくる優れたシリーズのサワリまたは入口ををいくつか紹介します
▽ひと夏をすぎて、それは血みどろの格闘でもあったが少女は世界とタッチする、その瞬間を捉えた映画。母と娘の距離が縮まって安らぎのラストシーン、今や少女の心がポッと開いている。
http://www.youtube.com/watch?v=SdvD7ctB5RQ
▽最近の映画は説明し過ぎだというのは黒澤がたけしとの対談で話していた言葉ですが同じように倉本聰も分かりやすくしようと説明しすぎるドラマは視聴者をナメてることだと語っていました。説明なんていらない、ホントに。また分からなくったっていいのです。そこらあたりにおかしみとか哀しさとか親しみとかが潜むことを山中貞雄は知りぬいている。
http://www.youtube.com/watch?v=dzN6UGPKJo8
▽およそ向田邦子を論じたもののなかでは最高峰だと当サイトは信じております。
全5話のシリーズでアップされていますが1のみあげておきます。シリーズ最後の方で團伊玖磨も登場。
http://www.youtube.com/watch?v=kYwZXroncAc&feature=related
▽街の本屋というのは世間からも日常からも少しズレていてフツーの店とはちょっと違う浮世離れしたところが・・・あったらいいですね。「全然別の世界にきたみたい」。そんなゴーヨク堂店主のエピソードを集めたものですが、傷ついた小鳥が羽を休めにきてマニュキアぬった指で珈琲をそっと差し出したりいい感じでしょ。
http://www.youtube.com/watch?v=O6ZBJkuanI4
http://www.youtube.com/watch?v=DWSWRUMKDjU
▽山根基世がナレーションをした「映像の世紀」全11集、予告編をあげておきます。静かによどみなく哀しみも怒りもとまどいも・・・。これらの映像を見るとまったくことばにならない、すべては問いかけのことばだけ。なぜ、どうして?
DVDがでていますが検索していけば結構見ることができそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=0t0WTCi61nE&feature=related
▽ 承前 こうした著名人の生き方見本帖は軽くあなどれないほどの影響力を持っているようだ。考えてみれば(考えるほどのことでもないけれど)高峰も向田も山根も軽やかで知的で素敵な生き方をしている(らしい)<あこがれの人>たちではある。こう記すと他の著名人たちとは違うぜ、という声も聞こえてきそうですが中味や真実についてはともかく名女優であり名高い文学賞に恵まれ、大看板を背負ったアナウンサーという立場がモノをいうことは当然すぎるほどだ。うるさいただのオバさんに誰が耳を貸すものか。特別な存在。
山根が会うなり意気投合したという内館牧子の「食べるのが好き飲むのも好き料理は嫌い」(講談社文庫)というやたら長いタイトルの文庫に「ゆっくり行きたいけれど」というエッセイがある。夢を売る雑誌やテレビに「憧れのあの人、学びたいライフスタイル」といった特集は繰り返しでてくる。問題は、と内館は言う、同世代の女性たちが距離をおかないでストレートに受けとめすぎることだ、と。「東京で最先端の仕事をしている女たちまでもが、著名女性のライフスタイルに焦っていると言ったのだ。これを聞いた時は耳を疑った。」子育ても料理もこなしているのに「ゆとり」と「上質」の生活を語る著名人たち、彼女たちと比べて自分のみじめさはどうだ、そんな構図だろうか。少し距離をおきなさい、1日は誰でも24時間なのだからそんなに頻繁におシャレな暮らしなんてしていないよ、「夜は夫とワインを飲みながら・・・(略)・・・お気に入りのギヤマンのグラスの出番が多いわ」─こう書いてあるからといって「真に受けすぎて焦る必要はない」「月に一回ギヤマンでワインを飲んだことを話しているんだな、そう思うくらいでいい。」 さすがに上手いものです、ギヤマンにワイときてそこにはにっこり微笑む写真がドーンをあるからインパクトもあって・・・。 続
<7月1日>
▽ 注目の新刊書 ─というには少し前のものですが2008年7月刊行の新書。小器用なタレントが綴る評論やコメントにはウンザリしていたところに久しぶりにすそ野が広く骨のある歴史書(と一応しておきます)に会えました。「戦争絶滅へ、人間復活へ 九三歳・ジャーナリストの発言」(むのたけじ 聞き手 黒岩比佐子 岩波新書 定価735円) むのは今のジャーナリズムは「ニュースではなくトピックス」ばかりで「まったく自己主張というものがない」(86ページ)、これでは反戦など言えるわけがないと語る。まったくだ、平均値をだして少し甘みを加えたり胡椒を効かせたり、そんな小賢しさばかり、最後に頼るのは自らの批判ではなくて数字というのもどうなんだろう。先週と今週の週刊文春連載の「本音を申せば」(小林信彦)にも大新聞とラジオの「情けない」今について触れている。いったいジャーナリズムはどうなってしまったんだろう、「創造」からどんどん遠ざかっていくばかりではないか?
むのの発言を追っていくと(現代版)ユートピアではないか、というところ(例えばこれからは女性が中心にならないと世の中良くならないという弁)もあって刺激されます、それも戯言めかしての発言ではなく強烈な批判とどこへ進むべきかの方向感覚が明確だから訴えてくるように感じられる。 聞き手の黒岩には戦争にブレーキをかける(かけられなかった)動因や戦後の歩みの手がかりを日露戦争まで遡って学ぶことができるという指摘があり教えられました。こんな<知性>を待ってたんだ。戦争と平和に向き合っていることが何より心強い。こういうテーマの本や雑誌の特集は結構あるのですが、しかし、むのや黒岩と今の新聞、一部のTV、ジャーナリズムで見聞きする「批評」との隔たりは埋めようがないものがあるのではなかろうか、そんな印象が強い。「普通」のセンスが感じられないのが大新聞と巨大なTV局、いったい誰に向かって投げかけているのだろう、と首を傾げるばかりなのです。主語もないけれど相手(対象)も見えてないぞ。ただの人であることを忘れた(あるいはポーズだけの)戦争・平和論がどれほどの力になるか大いに疑問。幼いころからムダをしないでおりこうさん路線で生きてきた「優等生」のシラッとしたイメージが(当サイトのなかに)定着しつつある。
しかし、むのの言論は絶望ではなく希望へ向けられている、グチっていないで光を探そう。それにしても歳をとればとるほど冴えてくるとか、60歳を過ぎてからが本番の人生だとか、口も達者で今も現役とは畏れ入りました。
2009年 サウンド備忘録
誰にでも何年かにわたって何度も繰り返し聴いてしまう歌があるもの、もちろん極めて個人的に好きな歌なのですが、それらもいつのまにか流されて遠くへいってしまう。忘れないうちに少しだけ記録しておこう、2009年の音楽ノート。
・キャリー・アンダーウッド(Carrie Underwood)が歌う・Stand By Your Man(スタンド バイ ユアマン)、もう素晴らしいですね、パワフルで沁みわたる。女もつらいけれど男もつらいんだよ、心が冷えロンリーな時もある、アンタのいい人を支えてやりなよ、寄り添ってあげなよ・・・とまぁ手前勝手な解釈ですがそんな感じの歌詞かな。
http://www.youtube.com/watch?v=rJntBTx_KKs&feature=related
キャリーが歌う“サウンド オブ ミュージック” や “I Told You So” もグッときます。
・Soul Man こういうのを聴くと世界(の目標は)はPeace Love No Warしかないですね、一緒にリズムをとって愉しそうで、おじさんたちも頑張ってますが少々後半息が切れてきたりして。
http://www.youtube.com/watch?v=KLHIGbj2p04&feature=related
日本でもこんなセッションがあったようで世界はジョイントできるという誇り高きシーン。当サイトにとっては強欲堂書店の店主でもあるソウル・マンも登場。
http://www.youtube.com/watch?v=Rb_s1dt0V64
そしてこの名曲 http://www.youtube.com/watch?v=iRGrXwoVn8Y 2曲1/9修正・追加
・和田夏十を偲んで、作詞した木枯し紋次郎のテーマ曲、もちろん市川崑劇場。
http://www.youtube.com/watch?v=wXXXwTepKpc
・歌詞が(そしてサビのところが)気にいっている。「みんな時代の渦へと/知らずに落ちてゆくけれど」とか「変らずにいる勇気を」とか山川啓介(作詞)に拍手、八神純子のNATURALYは今も新鮮。CDは八神純子ポップ・ヒッツ 2006 YAMAHA
http://www.youtube.com/watch?v=cOcki_PSIlY
・2009年の収穫のひとつは長田渚の「欲望という名の女優」大地喜和子でした、「サヨナラの鐘」が鳴り響く、ここにも坂道がでてきます。
http://www.youtube.com/watch?v=1RY8T4DaCjg
・昨年(2008年11月の備忘録)「高峰秀子の流儀」(斎藤明美)のエンディングで浮かんできたのが岩崎宏美「Dear FriendsⅡ」に収録されている「白いページの中に」、元祖は柴田まゆみ。
http://www.youtube.com/watch?v=kvGQo7UHAdc&feature=related
岩崎は本田美奈子の「つばさ」を受け継ぐんだと「Dear Friends 3」でカバーしていますがこのシリーズは編曲が当サイト好みで「つばさ」もオーボエの音色が響き歌声が突き抜けていく。岩谷時子の歌詞の凄さを思い知らされる。勝手な空想ですがC・アンダーウッドにも歌ってほしい。元祖はもちろん本田美奈子。
http://www.youtube.com/watch?v=ItnWET1LTXw
・2003年、2005年、2007年と奇数年に訪れてきた木皿泉のドラマたちも2009年はとうとう出会うこともなくまたの機会を待たなければならない。夜空の星になったのか、エンディングに流れていた歌もどこかさびしげだけれどまた会おうぜ。
http://www.youtube.com/watch?v=XwMG4B_Q8YM
・スペースがなくなりましたので年をこえて来年こそ「小さな幸福」が失われることなく、「昨日の哀しみ」を流せてゆける年でありますように・・・岩谷時子の願いはわれわれの願いでもあります。
http://www.youtube.com/watch?v=8ekZ1JZXWDM <12月29日>
均一台
こうした著名人の生き方見本帖は軽くあなどれないほどの影響力を持っているようだ。考えてみれば(考えるほどのことでもないけれど)高峰も向田も山根も軽やかで知的で素敵な生き方をしている(らしい)<あこがれの人>たちではある。こう記すと他の著名人たちとは違うぜ、という声も聞こえてきそうですが中味や真実についてはともかく名女優であり名高い文学賞に恵まれ、大看板を背負ったアナウンサーという立場がモノをいうことは当然すぎるほどだ。うるさいただのオバさんに誰が耳を貸すものか。特別な存在。
山根が会うなり意気投合したという内館牧子の「食べるのが好き飲むのも好き料理は嫌い」(講談社文庫)というやたら長いタイトルの文庫に「ゆっくり行きたいけれど」というエッセイがある。夢を売る雑誌やテレビに「憧れのあの人、学びたいライフスタイル」といった特集は繰り返しでてくる。問題は、と内館は言う、同世代の女性たちが距離をおかないでストレートに受けとめすぎることだ、と。「東京で最先端の仕事をしている女たちまでもが、著名女性のライフスタイルに焦っていると言ったのだ。これを聞いた時は耳を疑った。」子育ても料理もこなしているのに「ゆとり」と「上質」の生活を語る著名人たち、彼女たちと比べて自分のみじめさはどうだ、そんな構図だろうか。少し距離をおきなさい、1日は誰でも24時間なのだからそんなに頻繁におシャレな暮らしなんてしていないよ、「夜は夫とワインを飲みながら・・・(略)・・・お気に入りのギヤマンのグラスの出番が多いわ」─こう書いてあるからといって「真に受けすぎて焦る必要はない」「月に一回ギヤマンでワインを飲んだことを話しているんだな、そう思うくらいでいい。」 さすがに上手いものです、ギヤマンにワイときてそこにはにっこり微笑む写真がドーンをあるからインパクトもあって・・・。
続 <7月1日>
▽ 承前 そして、心の奥底まで沁みてくることばと並んでどうなってるんだと腹がたつような体験があちこちで綴られている。ことばが人の存在を根底で支えるものだということは日常私たちが体験する小さな刺や傷は存在を揺さぶらないではおかないということでもあるはず。例えば「せせら笑い」(「ことばで『私』を育てる」講談社文庫)─山根の体験はこうだ。肩の骨が外れたような痛さだ、病院で症状を言うと服をぬいでと医師、その場で脱ごうとすると「こんなところで脱がないの!」と軽蔑した声で顎でカーテンをしゃくる看護婦、医師はすぐギブスをはめると言う、困ると答えると医師は別に僕が痛いわけじゃないからいいんですよとせせら笑い、看護婦たちも一緒になって笑った。山根は「私はあの看護婦さんの「底意地の悪い目が忘れられない」と書く。
普通の人を見下したり侮辱したりモノ扱いしたり・・・濃淡の差こそあれギスギスした何とも冷ややかなイヤアな感じ。そこのところを掘り下げていくと「山根さんみたいな恵まれたアナウンサーが、どうして雫石さんに興味をもつんですか」(前掲 297ページ)の問いかけに山根が告白した「屈辱」に行きつくのだろう。雫石の「荒野に叫ぶ声」を読んで山根は口惜しくてならなかった、「それはもう他人の痛みとは思えないほど、私自身の内臓が切りもまれるような思いがする」とまで書いている。世間にその名も実力も認められた「恵まれたアナウンサー」は自身が受けたという屈辱を雫石に重ねていた。もちろん山根はどこでどんな無念を感じたかはつぶさに綴ってはいない、私の自尊心が許さない体験だったと記し誰もが体験するだろう女の無念をこれから放送の場で伝えていこう、肚はここで決まったと記している。
この手のイヤアな感じは発売中の「婦人画報」7月号でも斎藤明美が胸が悪くなるようなムカつきを綴っていますね。日本人の質は完全に落ちたと、私の本(もちろん「高峰秀子の流儀」のこと)のどこを読んでくれたのかと。そこにドキュメントされた出来事はまさに呆れかえるようなことですが、でも今の世の中こういうのありだなと一方では変に納得してしまう。ホントに「いろんな人がいるね」という高峰のことばにうなずいてしまう。当サイトも奇人変人怪人が嫌いなわけではない、むしろ好きなのだ。奇人大好き、近寄るかどうかは別問題ですが。ただここに登場してくる方たちは人としての普通のセンスが抜け落ちてただ単に幼稚、つまるところ卑しいのだ、斎藤がムカつくのはそのことをまるで恥じていないことだろうか。
山根がどこかで聞いたような観念ではなく身体(からだ)から発せられたことばを聞きたいとか、あなたが喋っているそのことばは本当に自分の力で捉えたことばなのか、借り物ではないのか、と繰り返し問い続けているのはここのところと関わるのではないだろうか。例えば高峰は「自分の身の丈にあった暮らし」が大切だと語る、けれども当サイトはここでもう立ちすくんでしまう、当然でしょう、自分を知らないでどうして身の丈を合わせられるのか、たいがいよく見せようとしたり実力以上に自分をふくらませたりそうじゃなくても肩に力が入ったりどうせ私なんてと卑下してみたりあるがままの自分なんてあっさり掴めるものではない、おまけに情報やカタログが自分を着飾ることをこれでもかこれでもかと誘ってくる。雑誌や本でも著名人の生き方指南の記事は腐るほどあるから、そうそう身の丈、身の丈と通過させるほどこのことばは甘いものとは思えないけれどファッションにすり変わってしまう、貸し衣装じゃああるまいし。「ちょっと控えめ」という高峰や向田のことばの意味を当サイトも追い続けていきたいものだとつぶやくしかない、それが現実ではなかろうか。 <6月14日>
▽ 承前 山根の本は守備範囲が広いのだけれど、雫石とみをとりあげた重いテーマでも重々しく深刻にならない、もちろん虚無に逃げ込むわけでもない。婦人雑誌がお得意の、例えば“しなやかな感性”とかいうようなフレーズに落ち込むこともなく気どりや思い上がりや上っ面だけをなでるような言動を反省しながら次の場面では口笛ふきながら歩を進めるような明るさが感じられる。ちょっと控え目なのだけれど案外図太い、というような。
安野光雅との優れた対談(「美術館へ行こう!」安野光雅・山根基世 オール讀物 2008年1月号)で安野の本で感激したのは「自分の失敗を許すことが大人になるということ」だというところだと山根は話している。失敗してもそこで終わらないで前へ進もう、「そうやって、生きていくんだ。」(山根) 現役の頃、若い時はどうしても完璧を目指して毎日失敗して自分を苦しめていたけれど、これからは「多少の失敗は許そう」、少し楽しみながら進んでいこう。山根は土地の人びとのことばに同調しながら自分の歩調を整え佐藤忠良の背中から歩くことを学んだのだろう。同じ対談のなかで「私、いつもモノを見るときに、佐藤忠良のモノの見方、考え方というのがどこか尺度になってる。」そう語りすぐ続けて「それだけ影響を受けても、こんなふうになっちゃって、忠良さんには申し訳ない感じがするんだけど(笑)。」と話している。「歩きながら」でも最終章で佐藤忠良が登場してきますが「この十二年、忠良さんから一度も説教めいた話をきいたことはない」、けれども「怠けたり、自分を甘やかしたり、不誠実な自分を感じたりする時、心がチクチク痛むのだ」と影響の深さを記している。山根の「歩きながら」は歩いている地面が読み手の<私>が今立っているこの地面と同じだという感覚があって一緒に呼吸していける。 当サイトにとっても「こんなことが本当に起るんですねえ」(『幸福な家族』の思い出」)も「じゃあ、またね」(「ことばで『私』を育てる」)ということばも深く胸に沈んで忘れられないものになっている。 <6月3日>
▽ 承前 向田のふたつのシナリオが放送された昭和52年にはまだ庶民ということばがリアルに実感できたと思う。今や庶民ということばは政治のある局面、つまりは選挙の場面などで使われたりするぐらいで「普通の暮らし」とはピッタリ重ならないように感じられる。普通から庶民はどんどん脱落していったのかもしれない。けれども消滅したわけではないだろう、マスメディアからは遠のいても土地の人びとの暮しや市場、商店街、そして路地のお年寄りたちにはそんな匂いがある。しかし高層ビルがそびえどの駅の周辺も似かよった景色になって地面というのか土の感触は遠のいていくばかり。私たちが高峰や佐藤忠良と安野光雅のことばや向田邦子のドラマに寄りそっていたいと感じるのはなぜだろう。そこらあたりを嗅ぎまわって深く潜水している方に光をあてておきたい。元アナウンサーだった山根基世を登場させるのを意外に思われるかもしれないが当サイトは山根の本から石垣りんや向田邦子や茨木のり子や佐藤忠良や工藤直子を教えていただいたようなものでありそれぞれの方たちが交叉してくるところに山根がいる、そんな感じなのだ。そして山根の本に共通しているのは評論家や著名人、あるいは時代の風にのって颯爽と登場してきた「翔んでる女」たちが語りかける(どこかで聞いたような)観念のことばではなく土地の人びとや暮らしの底からえぐってくることばにじっと耳を傾けるという一点。 続 5月3日、
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| ノーサイド |
| 沢田研二 玉村豊男編 ¥4,500 |
| 高峰秀子 松山善三 |
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▽ 承前 山根が語れない女囚から引きだしたことばはまったくどうってことのないものだけれど、しかし書き起こされたことばには、「ひとりの女の人生の断片がくっきりと描き出されている」。平凡な毎日、泡のように繰り返すことば。<私たち>の暮らしは今日は暑いやとか腹へったとか何時に帰るのとか、そんなとるにたらないことばを繰りだしている。旗を立て思想や人生を日々語っているわけではない。山根は、しかし、そんな「泡のように見える言葉」が「時間というたて糸と織り合わせていく時、そんなささやかな、何でもない言葉こそが自分の人生を形づくっていくものなのだ」、振り返った時確かに<私>はそこにいた、生きていたカケラ・・・。 別の言い方で山根は「人生の成立ちのカラクリ」(引用はすべて前掲)という表現をしている。そこには優れているとかそうではないとかの価値の序列やモラルの優劣ではなく、ただそういうものとして見つめられているようだ。色はついていない。何度読み返しても慄然とするのはここらあたりにその怖さというのか底の底を覗いたような一瞬を感じさせるからなんでしょうね、きっと。神は細部に宿るというのはこういうことなのだろう。山根のどの本にも普通の人が躍動してどうってことのない断片をすくいあげたり、ムダとも思えるようなことにも手間を惜しまない人たちが登場してくる。そんな方たちのことばが山根カラーに受けとめられ紹介されている。自分の手で頭で掴んだことばの魅力。 続 5月23日
▽ 承前 山根の著書のうちでは当サイトは「歩きながら」に注目したい。最終章の「二人の彫刻家」は著者と佐藤忠良との出会いや佐藤と半世紀におよぶ彫刻家船越保武の「友情」を描く、佐藤の愛弟子の話題「チコ、おめでとう」、幸福を絵に描いたような家族の崩壊を見つめた「『幸福な家族』の思い出」など一度読んだら記憶の底にすっと沈んで離れない。とりわけ著者のアナウンサー人生の結節点ともいうべき女子刑務所での対話は何度読んでも鳥肌がたつ。囚人がとんでもない異常なことを語っているわけではない、むしろ逆なのだ。囚人の口は重く、ポツンポツンと雨だれのようにことばが洩れるだけ。
冷たい雨のその日、スタッフとインタビューの準備を整えながら「・・・私は歯をガチガチいわせて震えていた。」(「歩きながら」文化出版局 1989年 43ページ) 目を合わせることもしない語れない女囚、これでは番組にならないと山根は焦る、そして「私の目を見てくれない彼女の前に身をのりだして、具体的に聞きはじめた。」
取材から帰ってから山根はインタビューのやりとりを文字におこしてみる、それは一編のの戯曲のようだったと。カメラがこの模様を見つめていたとしたらこの辺りでしょう、急激なクローズアップに切り替わるのは。そこに描かれたのはどこの家族でも見聞きするどうってことのない暮らしの断片や光景、平凡なことばばかり。夕暮れ、ピンクのセーター、電話・・・ 続 5月12日







| 原節子 ■ B2-203R 写真集原節子 マガジンハウス 1992年 C:B 帯 帯にシワ ¥800 |
| 高峰秀子 ■ B2-15R 巴里ひとりある記 創藝社 昭和30年 C:B ¥4,700 若き高峰秀子のすべてが凝縮されてこれぞ21世紀に伝えたい本のひとつ。 |
| 林圭一 ■ A3-949 舞台裏の喜劇人たち 創樹社 1997年 C:A 帯 ¥1,700 「古川ロッパ一座」の舞台監督から「空気座」文芸部、さらに「新宿セントラル劇場」を経て東宝・日劇へ。戦後喜劇の座付き作者が描く喜劇人の素顔とその時代。 |
| 佐藤愛子 城山三郎ほか ■ A2-978 わが愛する芸人(たれんと)たち 北洋社 1977年 C:B ¥1,200 山田五十鈴(榎本滋民) 水谷八重子(田中澄江) 大地喜和子(水上勉) 岸恵子(石堂淑朗) 殿山泰司(田中小実昌) 三木のり平(小野田勇) 大原麗子(山村正夫) 沢田研二(白石かずこ このラブレターはすごい)・・・ |