2009年9月
▽ 注目の新刊書 来年の手帳やカレンダーが書店に並ぶ季節になりました、どうやら今年は10年に一度出会えるかどうかという本がさりげなく刊行されているのでは・・・そんな気持ちが日増しに強くなってきている。6月に出た「井原高忠 元祖テレビ屋ゲバゲバ哲学」(愛育社 取材・構成 恩田泰子 以下「ゲバゲバ哲学」と略す)もそのひとつ、まったく画期的としか云いようがない1冊。これだけの本が1,680円で買えるなんて、いいんだろうか。ハードカバーでB5判の大型サイズくらいにして5,000円前後の値段でもいけたんじゃないか、というのは素人の浅はかさなんでしょうね、きっと。1983年に刊行された「元祖テレビ屋大奮戦」(文藝春秋 以下「元祖」と略す)は古書店でもなかなか見かけない名著ですが文庫にもならなかったということはあまり売れなかったということでしょうか。「ゲバゲバ哲学」も同じ運命をたどりすぐ絶版・品切れになって気づいた頃には高値になって復刊希望のサイトあたりで声をあげるというパターンを繰り返すのだろうか。
1929年6月6日?2009年6月6日、前は井原の誕生日、後は「ゲバゲバ哲学」の誕生日です。1929年といえば思いおこす方もいるでしょう、TV(ドラマ)界の巨人・向田邦子の生年でもあり井原も傘寿を迎えたその日に総決算というべき本書が刊行された。TVの『ゲバゲバ90分』は井原の集大成で再起不能になるほど疲労困憊したと「元祖」で書いていますがTVヴァラエティに光をあてた前著と一部重なるものの「ゲバゲバ哲学」は生誕から今日までの「語り下ろしの自伝」(前説 恩田泰子)、さらに伊東四朗 藤村俊二 仲築間卓蔵 堀威夫 井上ひさし 萩本欽一のインタビューと小林信彦の解説までサンドイッチされてスゴイ構成になっている。今度の本でもバカを痛烈にこきおろしていますがこうなると無敵、痛快ですね、凡百のハウ・ツー本を束にしてもこの本には勝てません。大人のプロ、あるいはプロの大人というべきか、カラッと乾いていて合理的で愉しくて独創的で策士で、考えてみれば久しぶりに正真正銘のオトナの声を聴いたという気がする。ここに躍動しているのは精鋭たちの闘いの足跡。その直言をサワリだけでも引いておきたい。
その1 「『一億総幼児化、総田舎者化』」が進んでいる。テレビ番組がくだらないと言われて久しいけれど、制作する連中も視聴者もみな『幼児』なのだと思えば合点がいく。やる人も見る人も同じレベルで下がっているから、釣り合いは取れてるのね。」(230ページ) すべての分野で人が育たなくなっている、バカの始りは「戦後の馬鹿な教育を受けた」世代、そのへんからだと続く。標的は団塊世代でもあります。
その2 井原が管理職に就いて局長になった時、制作局の女性社員を昇格させボーナスも上げた、当時は女性は最低ラインの評価が当たり前の時代だったという。「制作局に男が二百人いるけれど、おおむね馬鹿。でも、女は全部利口。五人しかいない女が二百人の馬鹿相手に働いているのに、どうしてそう差別ができるんだろうか。」(128ページ)
その3 井原は芸人やタレントを“面白いやつら”と話した放送人を「気にいらない」、異常な感覚だと怒る、「ぼくの番組に出てくれる人たちは宝ですよ。『やつ』なんて口が曲がっても言えない。」(92ページ) プロの心構えを教えてくれたと語る伊東四朗のインタビュー─プロとアマの堺があいまいになってきていてその差は舞台だとハッキリでるが今のTVはそれをゆるして受け入れてしまう、視聴率さえ良ければいいのだからと嘆く─と重ねると井原が心底出演者たちを「宝」だと考えていたことが判る。求めていたのはプロの仕事。
さて、井原が宝だといった役者・タレントたちと作りあげた「バラエティ」とは何か。
「バラエティの真髄というのは、意表をついた配列にある」(「元祖」102ページ)。
井原の捉え方は国宝級のAが出演した後にオットセイの曲芸Bが続くという配合のことですが日本人が一番不得手なことだという。生真面目な事大主義がここぞというところではどうしても出てくるもんなぁ、すぐ後にチョビ髭カンカン帽のキャラクターが出て一発芸でも放てば視聴者から“いかがなものか”の抗議の電話が鳴り響くこと必定。ジメジメした真面目な(?)だけの番組は概ね独りよがりでつきあいきれませんが一方で磨き抜かれたナンセンスのセンスは今や馬鹿騒ぎにとってかわり居場所がない。空虚な真面目、センスなき荘重、情緒偏向の寄り合い・馴れ合い・・・井原が罵倒した「バカ」(の世界)についてはもう一度じっくり読み返してみなければ・・・“利口が馬鹿のなかへ入ると確実に馬鹿になる”─どのページだったかそんなことばもありました。井原のエネルギッシュなTV界のバカ批判は痛快そのものですが政治や医療、教育などのバカについてはどうなるんだろう。他人ごとではなく直結してくる現実だからスィッチを消すだけではどうにもならない。TVのバカはその一端にすぎない、そう考えると笑いと怒りが凍りついてくる。 <9月29日>
▽ 鴨下信一の名著「テレビで気になる女たち」(講談社 昭和60年)は女優とドラマをめぐってのユニークな本ですが、番外編がこんな形で綴られようとは思いませんでした。「長く愛された『女優の素顔』」がそれです、“追悼・大原麗子”のひとつとして今、発売中の『文藝春秋』(10月号)に掲載されています。嵯峨三智子と大原麗子を結んで「二人は驚くほど似てい」るという、大原は読書家で「一日中でも一人で本を読んでいられるほど孤独には強かった」、彼女ほど虚像(世間のイメージ)と実像が違う女優はいなかったともある。まだ未読の方のために内容にはあまり触れない方がいいと思いますのでここまでにしておきますが浅丘ルリ子の「弔辞・わが妹 麗子への手紙」とともに胸を衝いてくる追悼文。女優大原麗子は何をそんなに苛立っていたのだろう、何が不安の淵に追いやったのだろうか。
ここからは独り言のようなものですが大原といい川村カオリといい忌野清志郎といい頼近美津子といい清水由貴子といい中島梓といい、何がどうなっちゃったんでしょうね今年は。なぜにこんなに早く召されていくのか。時代の悪意としか云いようがない口惜しい気分・・・世界は捉える対象を間違えているんじゃないか、それぞれの方にとって闘いはこれからではなかったか、皆さん若いころに比べると随分イイ顔になってきていてこの先の歩みが楽しみだっただけに言葉を失う。自己満足とはいえ同じ時代に生きているというかすかな繋がりが消えてしまった。
かって「前略 おふくろ様」のPART2で一回だけ大原麗子が出演したことを覚えていますか。ドラマの舞台、深川(東京)に<女優大原麗子>その人が現れるという設定、料亭“川波”はもうてんやわんや、女優の隣に座らされた半妻(室田日出夫)が紅潮した顔で板場へ水を飲みに来て「秀さん、ア、アレだぜ。アレが、ヒ、ヒラガナのをんなだぜッ」(「前略おふくろ様」 PARTU−2 ねの章 理論社 放送は昭和51年〜52年)と大興奮。呼び戻されてすっ飛んでいきコチコチになっている半妻と舞い上がってヘラヘラ笑っているばかりの利夫(川谷拓三)が対照的で大笑いしました。思えばこの場面、大原、室田、川谷と梅宮辰夫 志賀勝という東映出身の役者が揃っていたんですね。怖い顔の、ふだんは難しくクセのある男たちがデレっとしたり満面の笑顔を見せたり、その落差の可笑しいこと、女優はあくまでやさしい「をんな」で男たちは意外なほどの純情さで「少年」を抱えている、そんなドラマのワン・シーンでもありました。 <9月22日>
▽ 国会議員は当選するとほぼ例外なく人格が変ってしまうという守衛さんのエピソード、さもありなんと思いながら読んだたものですが、さてどの本だったかが判らない。出典が気になってあれこれ探っていたらやっとたどり着いた。中山千夏の本だった、タイトルは「中山千夏 議員ノート 1980年度」(話の特集 1981年)。国会の喫煙所で矢崎泰久(本文ではY兄)が衛視長から聴いた興味深い話として紹介されている─「どんな人でも議員になって二年たつと、必ず人間が変わる」「二年たって変わらなかった人は、ひとりもいない─」(186ページ)。その人が持っていた人の素、あるいは普通の素人の感覚が抜けてしまうという話として読みましたが中山が云うようにまったく怖い話だ。この議員レポートを読むと中山の立候補から始って当選後の活動の日々がいかに多くの人、組織と接するものかがよく判る。大量の人に酔ってしまいそうな感じ、新聞、放送メディアはもちろんですが勝新太郎、吉田拓郎、キャンディス・バーゲン、立木義浩、林家三平一家、タメさんまで周辺として登場してくる。もちろん各党派の議員や支援の方々の動きがメインですが想像を絶するほどにヒト、ヒト、ヒトが交叉してゆく。これでは普通の感覚で居続けることなんてできないんじゃないか、マヒしてしまうというより周りの声に右往左往して普通の私なんて吹き飛ばされてしまう。中山の眼はあくまで「素人」から見ると政治(家)とその周辺はどう映るかというレポートで、それだけに以心伝心と力学が支配する玄人たちの裏舞台がよく判る、魔物が住む館ですな。人脈が入り乱れ地縁血縁が情を貫き宴会のような「政治」はどっぷりはまるとやめられない魅力を秘めていることも・・・。揉めにもめて紛糾してくると妙にイキイキとしてくる政治家とメディア。夢中なんだろうね当事者たちは、TVの画面は怖いもので怒りながら、あるいは憂いている素ぶりにも嬉しくてタマランというもうひとつの表情をきっちり伝えてくれる。
中山の時代は1980年、80年代クロニカルとして今読み返しても古くはないし中山が放つ疑問符はそのまま今、生命があるように感じた、30年近い時を経て政治はいったんは素人の眼から組み立て直すところに近づいたのか。これまで届かなかった声がすくいあげられるのは事態がそこまで深刻で上っ面をなでる政治(家)ではどうにもならないことを知ってしまったから。長崎の新人議員が云っていましたよ、「底辺は広かった」と。
中山の本の最後のところに「拘束名簿式比例代表制」(当時の原案名)について(恐らく日本で最初の)告発レポートがあります。怒りのあまり大阪弁でつづっていますがまったく落っこちた議員がどうして(比例で救われて)また出てくるのよ、イヤぁな感じ。 <9月10日>