▽ 「青島ダア!」と「谷だァ!」については「時代観察者の冒険」(新潮文庫 小林信彦)に「私はいまでもありありと憶えているのだが、尾崎紅葉みたいな文士の恰好(すなわち、荘重主義のシンボル)をした青島幸男が、いとも軽薄に、かの名台詞『青島だあ』を吐いてみせたときから、荘重かつ厳粛をもってよしとする、明治以降の日本文化に、亀裂が生じ始めたような気がする」(<ギャグエイジ>の守護神)とまで書いている。それらの「根元のひとつ」になっているのは敗戦による「悲劇的高揚感」がずっこけ、ドンデン返しが続いたことからくる価値観の崩壊、要するに<やってられない>という感覚だと。この章と1981年のキーワードとしてあげられている「<ひょうきん>のこと」(完全無欠では魅力がなく一点ヌケている“ひょうきん”がホメ言葉に転換したという趣旨)を重ねてみると面白い、硬い学者や評論家、政治家までひょうきんを演じ始めたという指摘があります。 続 <8月1日>
▽ もうひとつ厳粛なものを一気に転倒させる植木等の「オ呼ビデナイ」も外すわけにはいきませんね。場違いなところに植木が突然出現するだけで「・・・それまで画面にみなぎっていた日本的湿気は、クーラーでもかけたように消えてしまう」、「オ呼ビデナイ」の一声で「画面は完全な空白になる。そこでは、日本的人情もマジメさも、全くナンセンスなものになる」(キネ旬「テレビの黄金時代」「クレージーキャッツ・スクラップブック」の「ナンセンスの系譜」小林信彦)とは卓抜。そして谷啓も青島も植木も何よりカッコ良かった、彼らにナンセンスというセンスを教えてもらったのは確かですが同じようにこんなオトナになりたいと思わせる魅力があった。「オレは高校の時に・・・『平均』・・・の考え方で生きていながら、田沼雄一・・・のような大学生活」を夢見た「植木等さんと加山雄三さんはオレが憧れた二大巨匠だ」(「テケテケの日々」三宅裕司 田沼雄一とは映画若大将の主人公)というのは世代が共有する実感かな。谷啓の自伝(「七人のネコとトロンボーン」)を読んでもその想いは強まるばかり、含羞を湛えながらもパッと視界が広がるようなオカシサがあります。 続 <8月6日>
▽ 録画しておいた映画「スウィングガール」を少しだけと見だしたら面白くて引きこまれてしまった。途中こういう映画(つまりスウィングする映画なんです)に谷啓さんが出演してくれたら最高だけどナ、しかし無理な話か、などと思っていたらホントに出てきたのには吃驚。不意をつかれましたが嬉しかったですね。エンディングの場面などモダンでシャレていて・・・。この監督(矢口史靖)のものは次は劇場で観なければ悪いな、テレビだと何か借りをつくったという想いが残ってしまう。 続 <8月8日>
▽ 書き残したことのいくつか、バラエティ番組を軸にテレビの黄金時代を見る場合に井原高忠の名前はパイオニアとして欠くことはできないと思いますがそのラインで齋藤太朗「ディレクターにズームイン!!」(日本テレビ)があります。訃報が伝えられた山下勝利さんの「ハナ肇とクレージーキャッツ物語」もメンバー全員に光をあてた労作、植木等の父 植木徹之助は芸事が好きで義太夫にこり寄席で夢声と共演したりしていた、石橋エータローの父は福田蘭童で祖父は青木繁、会話に「武士道という言葉がよく出てくる」安田伸など、エッと驚くような?聞き書きが随所に。クレージーとその時代を振り返るときにメンバーの世代は(それぞれズレはありますが植木を除き昭和ヒトケタ生まれ)かなり重いような気がします。 続 <8月17日>
▽ 夢声の対談集「同行二人」での高峰秀子との対談は物語の発端を感じさせるだけでなく夢声が高峰のことばに自分自身を見つめ重ね合わせているような同じ響きを感じさせますね。実際に夢声は4歳の時に母親と路上で生き別れ、高峰は4歳のときに生母と死別し「阪妻とハナ肇を一緒にしたような立派な顔」の祖父は豪胆で経営手腕にも恵まれた派手好きな性格だったのに「小心者」で意気地のない父親(つまりは祖父の第一子で長男)の元を離れ「流れ者の活弁士」の養父と芸事が好きで女活弁士でもあった気丈な養母に育てられひょんなことから松竹の子役に抜擢されてしまう、その時5歳だった。対談のなかで「デコの眼に浮んだ涙を、私は見逃さなかった」と夢声が書いていますが「実は」と続けて「私も胸が一杯になった」とあるように「平凡な家庭」や生き方に憧れる高峰とそれらのことばに揺すぶられている夢声という人がよく出ているように感じられます。この資質は三國一朗が鮮やかに描いていた次の文章を想い起こさせる、「夢声の文章を読んでいて、つくづく及び難いと思うものの一つは、動植物への濃やかな気の使い方である。・・・彼が自分の身辺について何か書くとき、必ずどこかに草や花や、虫や魚が忘れずに書き込まれている。そして、小さな点景物としてそれらを描きながらも、必ずそこに生と死が織りこまれていて、一木一草といえども夢声の心に運命の影を落とさずには存在しないのではないか、と感じられるほどである」。引用は順に「わたしの渡世日記」「徳川夢声の世界」。 続 <8月19日>
▽ 「戦争日記」や「夢声自伝」には泣き虫だった幼児期のことや意気地がない自分に眼を向けてうなだれている姿がひんぱんに描かれている。その自伝には亡妻を綴った日々、それは泣き呑んだくれて酔いつぶれるしかなかった毎日、病室でベッドを整えるために奥さんを抱きかかえあまりの軽さに絶句しその辛さがまた酒へ走らせるという日々、があり夫としてこれで良いのかと自身を叱咤しながら耐えきれなかった想いは「意気地なし」の夢声をクローズアップしているかのよう。電車の待ち時間に虫の動きをじっと追いながら同じ時間を呼吸しているようなところに夢声という人の良さを感じますね。高峰との対談でも明治好きの高峰(例えば「旅は道づれ ツタンカーメン」の首章に「明治の時代に生まれたかったと心底おもっている」とあります)といかにも明治(生まれ)という感じの夢声老との息づかいが伝わってきます。 続 <8月31日>
2006年8月