2009年7月
上から日付順に掲載
▽ 承前 まったく大村という方はリアリストと呼ぶべきなのかハンパなところで手を打たない、クールと迫力、これが教え子の刈谷が受けた教師大村の印象。確かに大村の本には湿気がない、子どもが好きだのかわいいだのは大村からは聞こえてこない。今の世の中考えてみれば頑張れの大合唱かベタベタした情緒過剰でやたらと感動しまくるという奇妙な現象が繰り返し現れてくる。余計な一言ですがマスヒテリーも根は同じ。冷静ということばは流行りではないことは確かなようだ。工夫のある授業をすると子どもが夢中になる、生徒の評判も上々だ、教師はこんな子どもの姿に弱い、ぽおーとなってしまう、しかし今この瞬間子どもたちはどういう力が耕されているかを冷静に見極めようとする眼を曇らせてはいけない、そう大村は云う。子どもたちが眼を輝かせ何かイキイキした雰囲気に包まれている、その時点を捉えいわば無限大に広げて子どもは素晴らしい、抱きしめてあげたくなるなどいとも簡単に情緒の世界に浸ろうとする教育論や教育談義がいかに多いことか。しかし大村は立ちどまらない、スゴイ大人だなと思う。
一人でも聞いてくれる生徒がいれば私は話してきたと大村が語ったように、個の発想がその底にあるように思う、教えているのは何十人であろうが大村が見ているのは常にひとりの子ども(そしてその繰り返し)。学校教育(制度)は集団で行われるもの、従って個々人の差異は優劣となって評価されざるをえないし教育の秩序は優劣(競争とか選抜とか)の獲得点で保たれるものと当サイトは思っていました。大村の教える≒学ぶにはこうした優劣の意識がどうして吹っ飛んでしまうのだろうか。優劣が入り込むスキがないという不思議。生意気盛りの中学生なんだから皆と同じ方向を見たくない、こんな俺だっているんだぞと「異端」を知らせたいヤツだっている。大村はこんなエピソードを語っている。レポートの端に「センセイ、シネ」と書いてあった、さてどうしたものか。 続 <7月1日>
▽ 承前 大村への「いじめ」は子どもに限ったことではなかったと思いますね。ねたみであれ悪口であれ嫉妬であれ、独創的で優れた授業を行いしかも教師へは厳しい叱咤と激励の声を投げかける大村に冷ややかなあるいは陰湿な手練手管が大人から仕掛けられたことでしょう。学校といえど職場でありひとつの「世間」なのだから勤め人の世界と変るところはない。ましてやセコクなった今の時代に大村のような「独創」を行うことはさぞいろんな抵抗、制約を受けることでしょう。大村のことばを追っていくと今との距離がありすぎて愕然とする、安野の云うエセ科学がしゃしゃりでてきて手あかにまみれた優劣一本ヤリの「学ぶ」か勉強はホドホドでいいのびのび育てようの弁ばかり。ひとつの学科をほとんど理解していない中学生がいたらそれはまったく教師の責任なのに、しかし現実は通るはずがない。教えるプロでしょう、先生というのは、気がついたら学ぶことへのとっかかりを掴んでいた、そうさせるのが教師だというのは大村が説くところ。けれどもそうはならない。評価ということばも大村によれば教師が教えたことがどれだけ生徒に届いているか、どこでつまずき理解されていないのかを測る(端的に云えば手引き)用語だったのに優劣を判定するテストと同じ意味になってしまったという。教師は研究者であるべきだ、研究者を止めたとたんに子ども(の心)はその教師から離れていく、こんな大村はけむたい存在でもあった、そう思うのは考え過ぎだろうか。何が根っこなのかを明確に示す大村のことばは明治の女の時代錯誤なのだろうか。それとも今や大村のことばは古き良き時代のメルヘンになっていて、そういうものとして読むべきものなのだろうか。
大村という星はずいぶんと遠いところでポツンと輝いているような感じすらする、しかし暗ければ暗いほどその星は光を増す。当サイトが取り上げた大村はほんの一端にすぎない、けれども伝わってきますね、国語の一教師のことばが学校とか学科とかを超えて根底にまで降りてくるという不思議、それも狭くではなくたっぷりとした包容力を感じさせる魅力、観念ではなく自分の足と眼で捉えた力強さと品がいいことの不思議。長々とつづってきた「備忘録のようなもの」大村編もこうして一巡して最初に還ってきたような気がします。「おしやべりはまちゃん」の生涯はひとつの作品だったのではなかろうか、人生そのものが作品になりうるという人、たぶん大村の教え子たちは(例え声になっていなくても)そんな想いを抱き続けているんじゃないだろうか。 <7月6日>
▽ 承前 怒るか無視するか、大村の態度はサラッとしてました。「私はそのことばの脇に、鉛筆で小さいチェックをつけ『見ましたよ』という印、合図にしました。それでおしまいです」
相手は未熟な子どもでいやがらせなんだから同じ土俵に入って怒れば思うつぼでバカにされるだろう、けれども無視すると「縁が切れたようになってしま」う、教師が「自分から遠い人」になってしまう、無視されることは口惜しい憎らしい。子どもは教師を試すものだ、こうすればどのくらい動揺するか怒るか、そんないやがらせには“少し傷ついてあげなさい”と大村は云う。「縁が切れる」とは大村らしい表現ですね、ガラスのような子どもといった表現も大村はしていますが大村自身が繊細でやわらかくしかも「成功させずにはおかない」迫力で子どもと向き合うのだから適いません。 続 <7月4日>
▽ 承前 “人そのもの”あるいは人としての原型、それが天野の云う「ふつう」の核心なのだろうか。何となく判るような気がする。先日も所要で横浜線の某駅で降りて帰りに久しぶりにあの古本屋さんへ寄ってみようと行ったところが、ない。店舗の改装工事をしていてどうも店仕舞いのようなのだ。移転ということもあるかもしれないけれどガッカリでしたね。いい本を揃えていて値段も手頃で密度が濃くて気にいっていたんですが。今年の冬の終わり頃も神保町に映画関連の古書店があった、新しい店みたいだよと友だちから聞いてどれどれと出かけて行ったのに、やはりない。ご近所で聞いてみたら倉庫だけがあるようだとか要領をえない、これまた残念。昨年末に聞いた時にすぐ行けば間に合ったかもしれないけれどまさかなァ。女店主の店だったとのことでしたが移転であれば良いのですが。当サイトも開設して5年目ですがその間だけでも結構街の古本屋さんが消えている。思い浮かべただけでも7〜8件以上はある。
石垣りん─天野祐吉の話題から古本屋さんへ飛んだのは古本屋さんの店の空気というのが「“人の素(もと)”みたいなもの」を気づかせてくれるからなのです。 続 <7月25日>
▽ 某日図書館をぶらついていておゝこんな本がいたのか、と見つけたのが『ねがいは「普通」』(文化出版局 佐藤忠良 安野光雅 2002年 絶版)、聞き手に山根基世も加わっていますね、佐藤の顔にはしびれますよ。ホントいい顔。帰りに新刊書店に寄って刊行されたばかりの「最後の日本人」(清流出版 斎藤明美)を買って、これまたあちらこちら冷やかしていたら「優劣のかなたに 大村はま60のことば」(筑摩書房 苅谷夏子)に出会った。どれも読みだすと止まらない、憑かれたように読みましたがドッカンと超重量級の玉を受けとめるだけで精一杯、もうパニック状態。しばらくほっぽっといて安静に暮らそう。
これから読もうと考えている方に一言、斎藤の「最後の日本人」も苅谷の「優劣のかなたに」も喫茶店など人が居るところで読まない方がいいですよ。まったく容赦なく著者たちは本気で向かってきますから自分を総動員してページを繰ることになる、体力(?)が要る本なんてめったに会えない。 <7月9日>
▽ 「ユーモアの鎖国」(石垣りん 筑摩文庫)で解説の天野祐吉が「この世の中に、ふつうの人なんていない。自分はふつうの人だと思っている人は多いけれど、みんなどこかで、ふつうの何かを失っている」と書いている。私たちは何を「失っている」のだろうか。天野はこう続けている「ふつうというのは、もちろん、平均的ということではない。“人の素(もと)”みたいなものを、色づけもせず、変形もせず、いきいきと持ちつづけている人のこと」であり「人そのものみたいな人のことだ」(297ページ)。 続 <7月22日>