▽ターキーについての補足を少し。唯一の評伝「タアキイ 水の江瀧子伝」(中山千夏 1993年 新潮社)は(かっての)芸能人が同じ大先輩の芸能人の足どりを重ね合わせながらたどっていくところと雑誌や会報誌に掲載されたターキーの文章(弁)が本人の書いたものか代筆なのか逐一調べながら追跡しているところが凄い。例えばターキーが松竹との契約を切る場面で「私の場合、東宝を辞めようとした時、最も恐れたのは、『顔を切られる』ことであった」と自身を振り返りターキーとその周辺がそれを感じないわけがないと書いている。いわゆるタレント(本)の真実と嘘、業界の怖さも知り尽くしているからこそ本当に「本人のことば」なのかを執拗にトレースしていくのでしょう。ターキー自身も語っている、ポンポン好きなこと言ってるように思われてるけれど、とんでもない「芸能界のすごさ、すさまじさといったら、おそらく一般の人には想像もつかないくらい・・・いまでも口がさけても言えないことは、いっぱいあるんだから」(「ターキー放談 笑った、泣いた」49ページ 文園社)と。「実にどうも、好感度が満点で、世の中にこれほど嫌みのない顔というものがほかにあろうか」(「なつかしい芸人たち」色川武大 新潮文庫)というターキー像はその語り口や独特のカン(あるいはセンス)の鋭さとともにもっと光があてられてよいと思うのですが・・・。 <7月31日>
▽「オール讀物」8月号の北方謙三×梶芽衣子の対談「闘いは、これからだ」は元気があっていい。われわれの世代は最近世の中に向けて発信しなくなっているという北方の発言の流れを受けるかたちで「60歳のおばさんのやるアウトローがあってもいいんじゃないの!」と梶芽衣子。最近の動向についてはほとんどまったくテレビを見ていないので無知ですが日活ニュー・アクション時代の匂いを漂わせていて、今の時代のアウトローいけるんじゃないか。昨年だったか話題になった「アンフェア」とかいうTVドラマを見たとき“元祖は梶芽衣子だな”と感じたものです。
▽このところ面白い新刊書も多い、「小説新潮」に連載されていた長部日出雄「邦画の昭和史 スターで選ぶDVD100本」(新潮新書)も刊行されましたし伊東四朗の新刊(「ボケてたまるか」 ホーム社 定価1,365円)も。豪華本The official CRAZY CATS Graffiti(トレヴィル社 定価3,990円)も8ページほど増補されて復刻されています。 <7月24日>
▽注目の新刊書 「フォトポエム絵本 おはつ」(工藤直子 ネイチャアー・プロダクション 小学館 2004年刊 定価1,260円)。帯のことば「世界はまいにち生まれたて」 裏に「わたしは『おはつ』がすきです 朝おきて空や木々 光や風や小鳥たちに 出会うと『おは(つ)よう!」』と あいさつします だって、今日会うのは『おはつ』だものね あなたのそばの『おはつ』はお元気ですか」。心の池に小石を投げ込んだような本、波紋が広がって・・・。 <7月19日>
▽先日フィルムセンターで観た「グラマ島の誘惑」(1959 川島雄三)には鳥肌がたった。川島雄三は戦争と向かい合っているなという印象。今だったらまず撮れない映画ですね、TV放映などとても無理でしょう。女優と男優の絢爛たるアンサンブルにも吃驚。今村昌平編の「サヨナラだけが人生だ」(1976 改訂版)に浦山桐郎の印象深い追悼文があります。大正7年生の川島から昭和5年生の浦山桐郎が何を受けついだか、そして戦争は「生真面目」な川島の生き方に屈折した影を落としているのではないかと問いかけている。あのズシンとくる不気味な映像は形こそ違っても「あゝ軍歌」(前田陽一)や「仁義なき戦い」(笠原和夫×深作欣二)に流れ込んでいるのでは・・・。余談ですが「あゝ軍歌」もまずテレビでの放送はありえないですね、現状では。
▽この季節になぜか天藤真が読みたくなる。あの爽やかな風に触れてみたいという気分からかな。「炎の背景」(角川文庫 創元推理文庫)は時間があるときのおすすめの一冊、本を伏せるのが惜しくなりますから。何といってもヒーローとヒロインが魅力的で読むほどにイトオシクなります。22歳の今ならニートというのか、小川兵介(おっぺ)と19歳の女学生 一木久留美(ピンクル)、このふたりが罠にかけられ脱出を繰り広げていく危機一髪の物語。ただふたりとも異性恐怖症というキズを抱えこんでいる、ピンクルは「女性」を捨てて自分のことを「ぼく」と呼ぶほど。痛みを抱え込んだふたりの若者が偶然出会いお互いが助け助けられを繰り返していくうちに「この小ちゃな女の子を死なせてはいけない」と奮い立ち、ピンクルの胸の奥底に凍らせていたキズも溶けだしてゆく。ピュアな気持が揺れて溢れだしサラッとした複雑な爽やかさを伝えてくれる。事件が終わりふたりがさよならをしてそれぞれの生活へ戻るためにスイッチを切り替えようとしたとき「もしかして、ぼく、とりかえしのつかないこと、しようとしているんじゃないだろうか」とピンクル。おっぺとピンクルのコンビにはどこか「セクシーボイスアンドロボ」(あるいは木皿泉の世界か)と同じにおいを感じさせます。純粋培養の懐かしさ、どこか切ない感じとまた逢いたくなるところも・・・。天藤真には少女(あるいは少年)─若者を直線で結んだような爽やかさを感じさせます。
▽おっぺとピンクルの年齢を上げていくと怪盗と保母さんのこれまた愛すべきカップル「犯罪は二人で」の世界に。「一人より二人がよい」「闇の金が呼ぶ」(「犯罪は二人で」に収録 創元推理文庫)と続いた中編連作。このなかでは「星のような瞳」に会うことができる「闇の金が呼ぶ」が傑作。かっての「こちらブルームーン探偵社」(NHKで1986年から放送されたシビル・シェパードとブルース・ウィルスのコンビ)のシャレたユーモアに通じるところがあるのでは。
▽さて「セクシーボイスアンドロボ」ですが見た人のなかではもしあのドラマに出会わなかったら・・・「とりかえしのつかないこと」を自分はしたんじゃないかという悔いすら感じさせて逆に幸運(?)を噛みしめた方も多いのではないだろうか。週刊誌と同じでテレビドラマも終われば次の新番組が始り読み捨てられ消費されていく(向田邦子)というのはその通りでしょう、しかしそれにしては「いつまでも静まってくれない」何かがありすぎるドラマでした。あの作品の(魅)力はそう簡単に消えさるとは思えない、胸の奥底に沈み込んでゆく世界があってそれはたぶん壊れやすくて誰かが支えてやらなければ・・・というような。最初の衝撃は第一回のラスト近くに。
▽なぜ肝心なことを言ってくれないのかと問い詰めたロボに対して、N(ニコ)「だって・・・面倒なことなんて知りたくないって思ったから。本当のこと知ったらロボが困ると思ったから。」 R(ロボ)「おまえさ、まだ子供じゃん。そんな気の使い方すンなよ、子供がさァ、そういうの寂しすぎるじゃん。」 N「・・・」 R「オトナでもさァ、抱えきれないものイッパイあるんだよ。それを子供がさァ何でひとりで抱え込むかなァ」 N「・・・」<少しうなずいてロボの涙が落ちない前にハンケチをそっと差し出す> R「ホラまたァ、オトナに気を使うなっていってるだろ。」 N「・・・」<ニコの目もうるんでいるけれどそれでもちょっと嬉しそうな笑顔が。> こんな感じだったと思いますがロボの「大人でも抱えきれない痛みをどうして子供が自分ひとりで抱え込んでしまうのか?」ということばとそれに反応してニコの痛みが少し「溶けて」いく表情に救われました。あの二人の目は確かに「星のような瞳」に見えた。 <7月8日>
2007年7月