△こうした著名人の生き方見本帖は軽くあなどれないほどの影響力を持っているようだ。考えてみれば(考えるほどのことでもないけれど)高峰も向田も山根も軽やかで知的で素敵な生き方をしている(らしい)<あこがれの人>たちではある。こう記すと他の著名人たちとは違うぜ、という声も聞こえてきそうですが中味や真実についてはともかく名女優であり名高い文学賞に恵まれ、大看板を背負ったアナウンサーという立場がモノをいうことは当然すぎるほどだ。うるさいただのオバさんに誰が耳を貸すものか。特別な存在。
山根が会うなり意気投合したという内館牧子の「食べるのが好き飲むのも好き料理は嫌い」(講談社文庫)というやたら長いタイトルの文庫に「ゆっくり行きたいけれど」というエッセイがある。夢を売る雑誌やテレビに「憧れのあの人、学びたいライフスタイル」といった特集は繰り返しでてくる。問題は、と内館は言う、同世代の女性たちが距離をおかないでストレートに受けとめすぎることだ、と。「東京で最先端の仕事をしている女たちまでもが、著名女性のライフスタイルに焦っていると言ったのだ。これを聞いた時は耳を疑った。」子育ても料理もこなしているのに「ゆとり」と「上質」の生活を語る著名人たち、彼女たちと比べて自分のみじめさはどうだ、そんな構図だろうか。少し距離をおきなさい、1日は誰でも24時間なのだからそんなに頻繁におシャレな暮らしなんてしていないよ、「夜は夫とワインを飲みながら・・・(略)・・・お気に入りのギヤマンのグラスの出番が多いわ」─こう書いてあるからといって「真に受けすぎて焦る必要はない」「月に一回ギヤマンでワインを飲んだことを話しているんだな、そう思うくらいでいい。」 さすがに上手いものです、ギヤマンにワイときてそこにはにっこり微笑む写真がドーンをあるからインパクトもあって・・・。  続  <7月1日>
▽ 承前 著名人のライフスタイルは少し水割りして眺めておくぐらいでいいんだという内館のアドバイスには同感なのですが、当サイトは「上質でおしゃれ」なライフスタイルを笑いとばすエネルギィというのかアイロニィというのかそんなセンスが昭和から平成へ時代が変わりどんどん減っていったような気がしている。難しいことではなく世間話や井戸端会議の光景が消えていっているということ。老若男女がどうでもいいようなことをグチャグチャ喋っているあの時間です。お年寄りからは子どもは宝よ、なんて台詞がポンとでてオシャレもいいけどお金ほど使いやすいものってないからそこんとこ気をつけるんだよ、とか最近は先生も大変だよ、少し子どもにゲンコくらわしたりすると親からどやされちゃうってよ・・・などなど話がどこへとんでいくか判らないけれど世間は案外いろんな顔を見せてくれた。ついこの前までは。山根基世の「『世間話』のすすめ」(「ことばで『私』を育てる」)には一流大学をでた若い世代にこの世間話の積み重ねがないことに驚き目的のないおしゃべりがグチで終わってしまうことも多いけれど時として滋味深いものへ展開していくことがあることをスケッチしている。この本がでたのは1999年(文庫は2006年)ですが10年近くを経て目的のないおしゃべりの輪がもう少しご近所や世間にできていれば同じ方向ばかり向きたがるということに距離が生まれるのではなかろうかと感じている。人と気軽にバカを言ったり何の役にもたたないムダばなしやつきあいの時間が絶対量として不足しているのではなかろうか。思想や生き方、暮らしのスタイルとかのレベルではなく山根のいう泡のようにもれてくることばが随分痩せてしまい、あっても閉ざされた世界だけで交わされているんじゃなかろうか。仲間うちだけの話題とかね。(感情の)スイッチを消して表面的に人とつきあうことに慣れてしまって逆にTVの映像や雑誌などのスッキリ整理された活字媒体に依存してしまう、リアルから遠ざかってしまうことに慣れてしまったんじゃなかろうか。「願いは『普通』」、人としての素をたっぷりもった世間話の時間が今の時代にどれほど重要か、ギヤマンのグラスだって、何云ってんだいスカしてんじゃないよ、という掛け声を聴くだけでも気持ちが随分軽くなるんじゃないか。どこ行きゃあ買えるんだい、なんて云ったことひっくり返して笑い合ったりして。しかし、われわれが仰ぎ見た世代は今や人と会う機会さへ失われていて今はひっそりと暮らしている、そんな時代かな。
  <7月24日>

最新情報に戻る

2010年7月