最新情報に戻る

2009年6月

▽ 承前 大村の本をあれやこれやと乱読していくと大村にはいつも一人ひとりの子どもが生き生きとイメイジされていることがイヤというほど伝わってくる、<こうしたらあの生徒からどんなリアクションが返ってくるか>、それは早坂の<切り返しのキャメラ>が大村によって徹底的に駆使されていることでそこまでやるのかという感じ、大村の仕込みはハンパではない。「とにかく人の前で、子どもに赤恥をかかせるなんてことは、教師として絶対にやってはだめです」(前出 「96歳の仕事}148ページ)、こんなことを発言できる教師がいたとは驚きですが大村の「嫌い」[注]ということばに示されるNOは迫力がありますよ。大村が教えているのは普通の中学校の生徒で学力の劣る子どもも当然いる、これで皆の前で発表しても大丈夫というところまでフォローしてやる、大丈夫だから発表してきなさい、「やらせるからには成功させる」のだと。
「子どもを知るということが教育の命だと」大村はいう(前出114ページ)。どう知るのか、子どもに聞くこと、ボールを投げかけ返ってくることばを手がかりにして・・・というのが常識的なやり方ではないか、大村は違うという。私は聞かない、と。「私のほうから、心からいろいろな話をしました。そうしますと、何か話の雰囲気と言うんでしょうか、心が開けてくるような雰囲気ができるものです。」大村の云う話とは教壇から大勢の生徒に向けての話ではない、教え子の刈谷が書いている。「夏は風の通る窓辺で、冬はストーブのそばで、私たちはしじゅう先生と雑談をした」(前出「復権」54ページ)。当サイトはこの場面が一番気にいっているんですが、いい風景ですね。心から話したい教師と耳を傾ける生徒の時間。教師は面白い話を蓄え、あの先生のそばへ行くとちょっといい話が聞ける、愉しい。大村は心に響いたことは子どもは黙っていられないものだと言う。70歳を過ぎる頃まで話すトレーニングを積んだ、話す力は教師にとって決定的に重要だと語り、一人でも私の話を聞いてくれる生徒がいれば話してきたという。「お母さんのそばにいると、なんとなくおもしろい話が耳に入る、といったような雰囲気」(「96歳の仕事」50ページ)でタメになる話かどうかなんてどうでもいいこと。昭和3年に教師になった大村は校庭の木陰で廊下の片隅で教室で好きな花を見ながら自分用の小さな椅子にちょこんと座りながら子どもたちと「雑談」を続けてきたのでしょう。大村と生徒を包みこむ「心が開けてくる雰囲気」、人に何かが届くのは気持ちが開いている時なのだ、大事な話だからちゃんと聞きなさいと言っても届いていない。大勢に話して皆が真剣に聞いてくれるなんてまずない、それが現実だ。ひょっとして届いていないかもしれないと感じながら一件落着にしておこう、「いいかげんなところで手を打つ」(相米慎二のことば」ことで“次行こう”というのが教室に限らず普通のことではないか。 続 <6月24日>
[注]「世の中の人があまりにも、自分が人より優れているかどうかに関心を持ちすぎていると思」う(「96歳」107ページ)、そういう比べる見方は人を傷つける、私は嫌い。頑張れ頑張れって何をそんなに頑張るのですか、上手くいくように教えもしないで下手なのをやらせた後で「もう少し努力して」なんて言うのは嫌い。大村の「嫌い」にはオーバーかもしれませんが日常生活の隅々まで一種の圧迫感さえ感じさせるほどに強力で息苦しくさせている何かではないだろうか、刈谷は問うている「教育をめぐる考え方は大きく変わってきましたが、結局、教える力はどうなったのでしょうか。」大村はおそらく哀しそうに答えたのでしょう「さらに落ちたように思いますね。教えなくなった。」(「復権」120ページ)

▽ 承前 大村はまの普通もかなり変わっている、授業なんて教科書を教わるものとばかり思っていたし事実そうだったのですが教え子の刈谷は図書室の本全部を教材として扱うようなものだった、それどころか「生活の全般に国語教育の教材を求める・・・新聞記事は当然のこと、書評、広告、放送、日常の言語生活、各出版社の出す目録やPR誌など、たいへんな種類と数の資料が教材として教室に入ってきた。」(前出 「教えることの復権」 25ページ) 漫画のクリちゃんや安野光雅の「旅の絵本」[注]を教材にした授業は今や伝説のようなものかもしれない。当サイトの勝手な感じ方ですが高峰秀子であれ中西龍であれ栃折久美子であれ掲載されている活字や写真を単行本に限らず雑誌や広告、PR誌、新聞まで遡って収集したい見たいというのと重なるから大村のネライは判るような気がする。ディティールにひそむ面白きもの。それらは一片にすぎなくてもどうしても外せない(それが欠けていては全体は組みたてられないというような)資料になることがある。 続 <6月21日> 
[注]大村は渋谷の書店でこの本を見て、「あっと思った。うれしくて・・・」と語っている。まったく文字のない絵本、「この絵本には一人の旅人がいるんです。小さな船を漕いでやってきた旅人が上陸して、風が草原を吹き渡るような広い景色のなかをずっと旅していく」(夏子)「旅人の身になって一緒に旅をことばにするのね。旅の本にはいろんな生活がこまやかに出ている、泥棒まで出ている」(大村 引用は前出62ページ) 絵本に言葉をつけるこの授業は中学1年生へ向けてのものだった。

▽ 承前 この懐かしいようなめっぽう面白い明治の人たち、たぶん人文学者なら明治(人)の精神的水脈というような表現をするのでしょうが平たく言いかえれば何といってもこの方たちの話が魅力的でどこか深いところでおかしい。気持ちがくつろいでやわらかく羽を伸ばす心地よさ。その極地は北野さき(そして菊次郎)でしょう、しかしこの投げやりな言い回しは二重三重に張ってある伏線やどんでんがえしがあって、さきの毒舌が薄っぺらなものではないことを思い知らされる。この本には向田の云う「腹いっぱい喰わせてやってくすぐっちゃおう」という志ん朝の落語と同じ愚かさ、哀しみ、おかしさがあるような気がする。竹腰マスの家族も夜通し花札やら痲雀やったりして次の日も寝ないでケロッとしていて兄嫁が皆さんにつきあってたら「私殺されます」と云ったというエピソードが紹介されています。マスの口ぐせ「女は一人をつつしめ」は「一人でいるときも、お行儀よくしていなさいというのです。お風呂に一人で入っているときも、部屋で一人で寝ているときでも、女らしく美しくしていれば、どこへ行っても、特別にお行儀など考えないですむから、とても楽だと教えるのです」(前掲「いつもお陽さま家族」113ページ)。実にいいことばではないか。ストンと入りこんでくる。竹腰の戦前戦後の家族の物語にはどこかしら品の良さがひそんでいて「ヒリヒリとした生活感」がある、品といえばここにあげた明治の人たちはたとえ言動がムジュンだらけでも品性が感じられる。
考えられないような暮らしの遊びがあって普通が今より相当ズレていて普通のスケールが今よりケタ違いに大きいんじゃないか。あるいは柔軟というのだろうか。 続 <6月18日>

▽ 承前 このところ杉村春子 北野さき 淡谷のり子 竹腰マス 向田せいら大村とほぼ同じ世代の明治の女に触れたせいなのか、かなわないなぁとつくづく思いますね。“明治の女”に語ってもらおう「現在(いま)の、シマリのない人間の溢れた、ウジャジャけた世の中は、のんべんだらりと暮らすのにはラクかもしれないけれど、もうひとつヒリヒリとした生活感がない」「そこへゆくと、文明開化はなやかなりし明治の時代は、人それぞれに精神を張りつめて生きていたような気がするのです。子供は甘ったれているヒマもなく、青年は大望を抱き、老人は毅然として尊敬に価した。女性は忍の一字で少々可哀想だったけれど、でも、その忍耐が人間の中でじっくりと発酵して、利口は利口なりに、アホはアホなりに成長していった」(「旅は道づれツタンカーメン」松山善三 高峰秀子 潮出版社 15ページ) “明治の女”高峰の云うシマリがなくてウジャジャけた、さらに云えば幼児っぽい現在のわれわれの顔、この差、距離は何だろう。
杉村春子は1906年生で北野さきは「杉村春子さんより四つ上」(「菊次郎とさき」新潮社 ビートたけし 25ページ) 淡谷のり子は1907年生で「にんげん住所緑」(高峰秀子 文藝春秋)の声色つきの「老いの花道」は必読もの、竹腰マスは竹腰美代子の母で1905年生。竹腰はこう書いている「私は富士山を見るたびに、/─富士山、家のお母さんは、富士山のように強くて、富士山のように立派で気高い人です」(「いつもお陽さま家族」文春文庫 48ページ /は行変)。皆さんそれぞれに富士山と呼びたい方だと思う。向田邦子が「自分の仕事に対して、誰の批評が一番信頼できるんですか」と(和田勉と久世光彦との座談 「ブラウン管の裏側で」銀座百点 1978年9月号)問いかけ「私は母親なの」と話していますが以前読んだ時は通り一変の発言かなと思っていたのですがそうではない、今ならそう言えます。うちの母が一番、その想いの底には富士山を見つめる眼のようなものがあったはず。 続 <6月15日>

▽ 承前 大村の教育者としての核心は教室の授業にある、ああしろこうしろそれじゃダメだと大村は云わない、気づいていたらそうなっていた、“もっと細かく読みなさい”といいたくなるところを気づいていたら細かく読んでいた、そうさせるのがプロの教師だ、こうしなさいと言い放ってその通りになるんだったら教師なんて誰でもつとまる。子どもがある学科を苦手にしている理解していない、お宅のお子さんはここのところでつまづいているもっと家庭で学習させてくださいと教師から母親へ、大村ならこうは云わない、そうさせたのは誰か、理解させるのが教師の腕前だと知りぬいているから。大村が言いたいことは会社勤めであれ商売であれ当たり前のこと、努力しても自分の思うようにはならない、一生懸命やっても報われることは少ない、社会にでればそれが普通なのだということをイヤというほど知らされる。大村はそんな(人生の)覚悟が先生方には不足してはいないか、<あれだけ教えたのに理解してくれない>という腹立ちや焦りが教師には少し大きいようだと発言している。努力しても成果がすぐでなくて当たり前、人、人の世をもっと本気で大きく見てほしいと(「教えるということ T」)。
ここまでくると「教師」を大人と読み変えたほうが適切でしょう、大村が叱っているのは人ごとではない。刈谷がいう「そんなみみっいちい話」の大好きな人、レッテルをありたがり目先の効率を追い求める勢力が大村が生きてきた時代にもいろんな声となって行く手を阻んだことでしょう、「報われることがいかに少ないか」ということばは大村自身が噛みしめた歩みだったのではないか。
大村はま白寿記念委員会が編集したぶ厚い本(「かけがえなきこの教室に集う」小学館 2004年)には現役の頃の授業風景の写真が表紙になって前付けにもグラビア頁がありますがモダンで柔和ないい顔の大村がそこに居ます。戦前の教え子の方がこう云っている、先生は「授業に入って来られると、教壇の横でちょっと立ちどまるようになさって、それからはずみをつけるようにひらりと教壇の上にのぼられました」(49ページ)、紺のはかまで白い足袋が今でもハッキリ目に浮かぶと続けている。当サイトの思い込みかもしれませんが大村には明治生れの方が持つ最良の気質が備わっていたのではなかろうか。何か人間の器が違う本物の大人、「むこうから凄いものが歩いてくる」(高峰秀子が小津安二郎を評してのことば 注)そんな感じです。 続 <6月14日>

(注)「NHKことばの歳時記」(日本放送出版協会 109ページ 小津は「映画界とか何とか、そういうことをのけて、すばらしい方でした。『おとな』っていう感じでした。いま、あんまり『おとなだなあ』っていう人、いないじゃないですか。(笑)」とある。当サイトの偏見でしょうか、最近政治家の方々の発言に“子どもっぽい”としかいいようがない場面によく出くわす、TV向けのポーズなのかな、ことばが軽くなってきているというのは本当かもしれないがまだ幼稚が受ける時代なのか?

▽ 「婦人画報」7月号(創刊104周年記念特別号)は絵本「コドモノクニ」復刻を挟み込んで目を引く。驚いたのはむしろ中島誠之助と高峰秀子の対談が再録されていること、平成9年のものとありますがそんな対談があったなんて知りませんでした。知っていたら探し回ったことだろう、これがまた良くてよくて、涙がでるほど可笑しく上等。師弟対談のようでもあって深くて少し苦くて大人の会話が弾むはずむ。もうひとつ、その対談の前後(というより本文)の「高峰秀子の仕事」(斎藤明美)がグイグイ迫ってきて胸を衝いてくる。斎藤の「お茶漬けの味」にはシュンとさせられました。こんないい話を自分だけ知ってしまっておくのはもったいないような気分。 <6月14日> 

▽ 承前 そもそも20年も30年も前の中学時代の授業を覚えているものなのか、記憶しているとすればよっぽど印象に残る何かがなければありえないこと。「教えることの復権」(前出)は画期的な対談の本でもあって、かっての生徒が「教えられたこと」を(同窓会のような思い出話ではなく)その後の歩みのなかでもう一度振り返る、しかもその時の教師といっしょに。繰り広げられる会話は実にスリリングで国語の授業のひとコマなどというようなイメージを吹き飛ばす。カルチャースクールで夢中になって取り組む、そんな時間。
いきなりその授業に入ってみよう。「もとになる資料は、珍しく国語の教科書だけだった。一冊丸ごとである。」 最初からどんどん読んでいく、「ことば」という単語を見つけたら前後の意味が判る範囲をカードに書き写す、一枚のカードにひとつだけ。教科書丸ごとから「ことば」を抜きだすと札束のように80枚のカードになった。「この時点ですでに相当うれしかったことを覚えている」、この手ごたえ! おざなりのペーパーではなく資料一式を自分で作ることの充実感。この札束を使って「さあ、次は何だ」
一枚目の「ことば」のカードと二枚目を比べる、「ことば」ということばの使い方は同じかどうか、違うと思ったら別にして同じなら重ねる、その繰り返し、「いつも目の前の二つをくらべることですよ」と先生。「ことば」の分類をしていく作業、そしてひとつの束になった「ことば」の意味を説明する。分類、解釈、表現,発表という一連の作業は確かに「研究」だといってもおかしくない。自分の力を総動員して「混沌としていたものが除々に整理」されていく、浮かび上がるものを見据えていく作業。
普通の中学の生徒が一見単純そうで、しかし相当深くしかも結果が同じにはならない、そんな考え方もあるのかと評価しあう、優劣という競争が入り込む余地がない作業。 続 <6月7日>

▽ 承前 感じとる力とそれを発表(表現)することとは別のことなのだ、口ごもったからといって感じていないとはいえない。子どもが頬を火照らせ緊迫した動物の死闘を朗読している、そんな情景が目の前で展開されているのに“どう思いましたか”なんて訊くのは愚問中の愚問だ。くだらない設問が国語を嫌いにさせている、本を読むことをつまらなくさせている。こう大村は発言している。実際に大村の怒りの声を「教師 大村はま96歳の仕事」(前掲)の附録のCDで聴くことができますが、このとき大村は90歳を過ぎていたはず、すごい迫力。
大村の本を読んでいくと一見もっともらしい「常識」がいかに子ども相手の世界に多いか唖然としますね。その指針や教育論、制度まで広げていくとどういうことになるのやら。調査や統計がここでもしゃしゃりでてくる。大村との対談で安野光雅が「子どもの意見のアンケートが数字に変ると、とたんに科学的に見えてくる、似而非(えせ)科学ですけどね、性教育の調査とか色彩の嗜好調査とか、意味のない研究がたくさんありますねぇ。」と受けている。大村も「私、そういうの嫌い」と云い今読みたい本を言える人になりたい、別にないようだったらつまらない、嫌いだと子どもに話してきたという(「心のパン屋さん」204ページ)。
しかし大村や安野が嘆くように(国語の)勉強なんて昔からこんなものだったのではないか、しかも大村は批評家ではなく先生だったはず、どういう教え方をしたのだろう。少しだけかっての教え子の声を聞いてみよう、面白いことに早坂の云う「普通才能」がそこにリアルに示されてくる。 続 <6月4日>

▽ 承前 普通の才能、力がフルに発揮されてちゃんと一定の成果が得られる、そんな体験がどれほど貴重なものなのか。ものを考えるということの基本や成果を上げるための下準備とか、この道を歩いていけば頂上は見えてくるという手ごたえ、大村の教室で13歳から15歳くらいの少年少女が懸命に学んでいたんですね。学科や学校という垣根を軽くジャンプしてゆくかけがえのない時間。教え子の刈谷が話しているように耕された力は成績とか学歴とか、そんなみみっちい話しではない(前掲 72ページ)、根っこを引き上げる力を感じさせる。 続 <6月9日>

▽ 承前 これらは辞書を創りあげる作業を追体験していることと同じで私家版の辞書をある一項目で創ったわけですね。さぞ夢中になったことでしょう。子どもは自分の手を使って何かを創りあげることが大好きなのではなかろうか。教え子はこの授業から教わった一番大事なことを次のように書いている。
教わったことは「こつこつとした作業を確実に誠実に重ねていくと、ちゃんとある程度の仕事ができるということだった。高級なひらめきや、鋭い洞察力、そういう特別の才能のような飛び道具など使えなくても大丈夫、一定のレベルの成果は得られる。」 「つつましく誠実な仕事」を達成していくことは一教科や学校という枠のなかに限定されることではないと続けている。そしてもうひとつ教え子が学んだこと、「辞書という権威の象徴のような本も、実はこうした作業からできた物だということがわかって」天動説から地動説への転回を知ったという驚き。このあたり、当サイトも唸りましたね、教え子が書いているように学校という場所は既成の知識体系をかしこまって授かるというようなツマラササがあります、しかしこの授業は「過去に知的遺産を築いた人々と同等の資格」を持ってその手順を体験している。 続 <6月8日>
 

▽ 承前 この話題はどうしたら本好きの子どもに出きるかという親の質問に答えたものの一部。大村にはもともと子どもが「嫌いになるはずのないことなんです、本なんて。」(「心のパン屋さん ことばの教育に生きる」 筑摩書房 大村はま 205ページ)という認識がある、子どもにとって本は嫌いなはずない、本来そういうものなのに先生たちの指導が下手だと読まない子ができてしまうという。どういうことか。誰にでも覚えがあるのではないかと思いますが“作者は何をいいたいか” ここは“何がかいてありますか”という問いかけ。
大村は「何が書いてありますかなんて一生懸命訊いたりして、つまらないですね。何が書いてありますかって訊かれると、かえってわからなくなるんです。訊かれなければわかって読んでいます」(同 212ページ)。芥川の「トロッコ」を読んだら一緒に泣いてくれればそれでいいのに「図解しちゃってね、ここのところはどういう気持ち、ここのところはどういう気持ちって。私、あれが嫌いで嫌いでたまらない」 本を子どもから遠ざけているのは「先生たちがくだらない読書指導するせいじゃないか」 読書を「自分の生活の一部にしていく」ことを教えないと手厳しい。 続 <6月3日>