▽ 承前 向田のふたつのシナリオが放送された昭和52年にはまだ庶民ということばがリアルに実感できたと思う。今や庶民ということばは政治のある局面、つまりは選挙の場面などで使われたりするぐらいで「普通の暮らし」とはピッタリ重ならないように感じられる。普通から庶民はどんどん脱落していったのかもしれない。けれども消滅したわけではないだろう、マスメディアからは遠のいても土地の人びとの暮しや市場、商店街、そして路地のお年寄りたちにはそんな匂いがある。しかし高層ビルがそびえどの駅の周辺も似かよった景色になって地面というのか土の感触は遠のいていくばかり。私たちが高峰や佐藤忠良と安野光雅のことばや向田邦子のドラマに寄りそっていたいと感じるのはなぜだろう。そこらあたりを嗅ぎまわって深く潜水している方に光をあてておきたい。元アナウンサーだった山根基世を登場させるのを意外に思われるかもしれないが当サイトは山根の本から石垣りんや向田邦子や茨木のり子や佐藤忠良や工藤直子を教えていただいたようなものでありそれぞれの方たちが交叉してくるところに山根がいる、そんな感じなのだ。そして山根の本に共通しているのは評論家や著名人、あるいは時代の風にのって颯爽と登場してきた「翔んでる女」たちが語りかける(どこかで聞いたような)観念のことばではなく土地の人びとや暮らしの底からえぐってくることばにじっと耳を傾けるという一点。 続 <5月3日>、
▽ 承前 山根の著書のうちでは当サイトは「歩きながら」に注目したい。最終章の「二人の彫刻家」は著者と佐藤忠良との出会いや佐藤と半世紀におよぶ彫刻家船越保武の「友情」を描く、佐藤の愛弟子の話題「チコ、おめでとう」、幸福を絵に描いたような家族の崩壊を見つめた「『幸福な家族』の思い出」など一度読んだら記憶の底にすっと沈んで離れない。とりわけ著者のアナウンサー人生の結節点ともいうべき女子刑務所での対話は何度読んでも鳥肌がたつ。囚人がとんでもない異常なことを語っているわけではない、むしろ逆なのだ。囚人の口は重く、ポツンポツンと雨だれのようにことばが洩れるだけ。
冷たい雨のその日、スタッフとインタビューの準備を整えながら「・・・私は歯をガチガチいわせて震えていた。」(「歩きながら」文化出版局 1989年 43ページ) 目を合わせることもしない語れない女囚、これでは番組にならないと山根は焦る、そして「私の目を見てくれない彼女の前に身をのりだして、具体的に聞きはじめた。」
取材から帰ってから山根はインタビューのやりとりを文字におこしてみる、それは一編のの戯曲のようだったと。カメラがこの模様を見つめていたとしたらこの辺りでしょう、急激なクローズアップに切り替わるのは。そこに描かれたのはどこの家族でも見聞きするどうってことのない暮らしの断片や光景、平凡なことばばかり。夕暮れ、ピンクのセーター、電話・・・
続 <5月12日>
▽ 承前 山根が語れない女囚から引きだしたことばはまったくどうってことのないものだけれど、しかし書き起こされたことばには、「ひとりの女の人生の断片がくっきりと描き出されている」。平凡な毎日、泡のように繰り返すことば。<私たち>の暮らしは今日は暑いやとか腹へったとか何時に帰るのとか、そんなとるにたらないことばを繰りだしている。旗を立て思想や人生を日々語っているわけではない。山根は、しかし、そんな「泡のように見える言葉」が「時間というたて糸と織り合わせていく時、そんなささやかな、何でもない言葉こそが自分の人生を形づくっていくものなのだ」、振り返った時確かに<私>はそこにいた、生きていたカケラ・・・。 別の言い方で山根は「人生の成立ちのカラクリ」(引用はすべて前掲)という表現をしている。そこには優れているとかそうではないとかの価値の序列やモラルの優劣ではなく、ただそういうものとして見つめられているようだ。色はついていない。何度読み返しても慄然とするのはここらあたりにその怖さというのか底の底を覗いたような一瞬を感じさせるからなんでしょうね、きっと。神は細部に宿るというのはこういうことなのだろう。山根のどの本にも普通の人が躍動してどうってことのない断片をすくいあげたり、ムダとも思えるようなことにも手間を惜しまない人たちが登場してくる。そんな方たちのことばが山根カラーに受けとめられ紹介されている。自分の手で頭で掴んだことばの魅力。 続 <5月23日>