▽前回の大橋歩さんの記事を読みながらすぐ思い浮かべたのが「銀座界隈ドキドキの日々」(文春文庫 和田誠)。この本は60年代を綴ったもので最も優れた本のひとつ、時代の鼓動が聞こえてきそうな私的60年代記。顧客とデザイナーの関係が専門家に任せるヨというそれまでの関係から広告代理店が中に入るようになり、大勢で競わせて顧客の要望が通りやすいデザイナーや広告会社が重宝されるように変わっていったとあります(特に「高度成長」「麻布・銀座・青山」の章)。こんなエピソードが紹介されている、<父親が初めて赤ちゃんを撮った>というテーマで赤ちゃんの「桃のようなお尻で見ていると頬がゆるんでくるような写真」を新聞広告に使おうとした。ところが“お客さんにお尻を向けるのは失礼ではないか”の答が返ってきたという。勤めの方なら日常茶飯事の場面、硬直した理屈や事大主義は装いを替えながら増殖してくるものらしい。今や圧倒的な統計・管理デーダーが陰でそれらを支えているから手強い。思えば青島幸男×クレイジー・キャッツがひっくり返そうとしたのはこのテのもっともらしい世界だったはずですが・・・。伝承はされているんだろうか。 <4月28日>
▽23日(月)から朝日新聞の夕刊で「人生の贈りもの」大橋歩さんの雑誌づくりの話題が始まっています。おひとりで「アルネ」という雑誌を2002年から作っている。これだけ実績のある高名なイラストレイターでも創刊号を本屋さんが置いてくれなかったという、ネット販売から始めて読者を開拓しその動きが読者から書店への働きかけとなって逆に置いてほしいということに。興味深いのは<今、なぜ雑誌づくりなのか>というところ。60歳少し前からつまらない仕事しかこなくなった、「管理されてるっていうか、・・・『こういうシチュエーションでこういうふうに描いて下さい』って注文されるようになった」という。つまり「ターゲットがはっきりしてきて、こういうふうに作れば売れるとかそういうのが強くなって、ラフスケッチがきてから依頼が来る」。マーケッティングですね。しかし、それでは作り手が面白いはずがない。広告代理店もプレゼンのカタチで競わせようとするようになり参加してもどんどん落ちる。こんなふうに「雑誌をつくる方法が変わってきた」。モノを作る人は注文先(顧客)の言いなりで流されるのではなく時代に対する自分のアンテナを磨いて発信しつづけることが大事ではないかと。勤め人だったらとっくに退職の年齢なのに、あるいはよくあるパターンでシリーズ物の監修者あたりに収まっても不思議はない方なのにひとりで「発信」しつづけているところ、凄い。
▽発信といえばこのテレビ。日曜日くらいになると何だかソワソワしてくるのは火曜日の「セクシーボイスアンドロボ」が近づいてくるから。感涙にむせぶロボを母性の優しみを湛えてみつめる中学生ニコのアクションとコメディ、勢いは止まらない。「オレにも明日はくるのか」「(長いマ)来るよ」という初回のセリフは(前回もそうですが)今週放送のものにも顔をのぞかせていました。この面白さはどこから来るのか。「時代のアンテナ」というより旗かな、そこから発信されていること、ズシッと伝わってきます。 <4月25日>
▽次回の入荷掲載のため中身をチェックしていたら読みふけってしまった本、「生きるなり 脳卒中から奇跡の生還」(1984年 文春文庫 千秋実)。晩年に重い病で倒れたことは知っていたけれど58歳の時だったとは。1975(昭和50)年の4月19日のこと、その日元気で出かけていったのにタンカで運ばれ家に戻る。1975年といえば「七人の侍」の完全リヴァイバル版(それまでは短縮版だった)が劇場に復活した年、そして高峰秀子が週刊朝日に「わたしの徒世日記」を連載で書き始めた年でもある。倒れたのはスタジオ、収録中のドラマの相手役が高峰秀子だった。脳卒中の術後の症状や精神的なダメイジの凄さ、復活の足どりが細かくドキュメントされています。手がふるえようが頭痛が激しかろうが「人前ではしゃんとする。これが役者の骨なのだ。」カッコウよく見せるというより「もっと痛切なもの」だ(「精神科へ回される」の章)と書いていますね。同じ著者の「わが青春の薔薇座」でもそうですが装飾を排して「事実」を綴っていく迫力を感じました。(単行本は)昭和54年刊行だから現在は著者が力説しているリハビリ施設も良くはなっていることでしょうが患者が受ける心身の痛みや家族を巻き込んでの葛藤は基本的には変わらないのではないか。最初入院した病院にたいして感じた奥さんの不安、病院や医師への気兼ねではなく患者への処置が最優先すると決心して転院を強行した場面など体験した方では書けない指針かもしれない。余談ですが高齢者社会の到来がハッキリ見えているだけに壮年の方々の(病からの)復活ドキュメントの古書ジャンルがあってもいいんじゃないかと感じましたがどうなんでしょう。 <4月23日>
▽注目の新刊書 「小林カツ代はこんなにいろいろ食べてきた」(2004年 文藝春秋)。小林版「芋たこなんきん」の世界、母は料理の天才で父は発明好きな才人の一家に育った著者が少女期に出会った大阪のうまいものたちがズラリ。何でもない普通の食生活が細やかな気配りや工夫によって支えられていること、それが昭和時代の暮らしの活気というもので「幸福」の源を蘇らしています。美味そうな絵をそえて「大阪は牛肉文化の地」で肉といったら牛肉のこと、「大阪の食べ物屋さんのすごいところは、値段が安いめし屋さんでも、しっかりした味わいのあるだしをきっちりとり、お惣菜の味つけから盛りつけまで手をぬかないこと」などなど大阪庶民の味の愉しさを教えてくれる。わが町の記憶がおいしいものと結びついていることの素晴らしさ。定価1,400円。
▽再放送された「スーダラ伝説」を見て当時のエピソードを語る人たちの壮観なこと、それでも田波靖男が、古澤憲吾がいない。もう少し作るのが早ければなァと悔やまれるほど。お二人りとも60年代を語るときに外せない方、田波は「若大将」と「クレージー」を育てたライター(映画「若い季節」の脚本も田波)。「映画が夢を語れたとき」(1997年 広美出版)に「ニッポン無責任時代」が生まれる経過がナマナマしく記録されています。(田波の)シナリオが当時の映画界では通用しにくいものだったのにパスしたのは青島幸男の「今までの日本映画になかった面白さだ」という発言があったからだとあります。藤本真澄が「パレンバンの現場は撮影なんかじゃない。運動会だ」と云っていたという監督の古澤憲吾については永倉万治の「アニバーサリー・ソング」(1989年 立風書房)の終章(「十七年目の再会」)に詳しい。東宝に入るまでと辞めてからの「信念の人」の動きが描かれています。 <4月15日>
▽セクシーボイスアンドロボ第1回(日本テレビ 4月10日 火曜日 午後10時)を観ながら嬉しいなぁ、これは日活の匂いがするぞ、ニューアクションから相米慎二の「ションベンライダー」へ流れ込んでいった何だかよく分からないけれど瑞々しいあの感触。シナリオ(木皿泉)とプロデューサー(河野英裕)は名作「すいか」のコンビ。当時、プロデューサーはドラマの原点にもどる作品をやりたかったが視聴率も伸びずホサれたと記していたはず、還ってきたわけですね。今度は高円寺が舞台のようです。テンポが良くてキレがいいこと、小さなヒロインを包みこむ周りの景色も良かった、衝撃としかいいようがない70分でした。
▽ゲバボウって何ですか、アングラって? あの当時の風俗や世相を伝えることばは若い方たちに通じない意味不明なことばらしい、タアキイを知っている学生は一人もいなかったとあります、驚いたな。団塊世代のジュニアかな。「三日月の夜」(一葉社 1998年 中山千夏)という本にそんな嘆息があります。余談ですがこの本の「桃源荘から」はいいですね、1年に満たなかった泰明小学校時代は歌舞伎座裏にあったという「桃源荘」から通った。そこで出会った役者、芸人との追憶、あれから35年を経て随分遠いところへ来てしまったと昭和の時代の「かなたの場所」を振り返っています。 <4月12日>
▽先月末はTVの「芋たこなんきん」のカモカのおっちゃんとの別れと植木等さんの訃報が重なって、おまけにその時読み返していた角川文庫版の「JAMJAM日記」(殿山泰司)の田中絹代さんが亡くなった日の文章が強烈で、そんなこんなの印象がダブッてきてなんだか重くなってきた。田中絹代さんとの最後の共演は年寄りの恋人同志の役で「たった一人の反乱」(NHK TVドラマ)だった、浅草の<かいば屋>で呑みながら「涙が出そうになったのでオレは石やん(石崎一正 引用者)に背を向ける。黙祷─。ああ何もかも忘れたい。こんな晩は早く帰ってフトンの中へもぐり込み・・・」と衝撃を綴っている。桜の季節に沈んだ気分は合わないし、困ったなとグズグズしていたらもう暦は7日、ちらほらゴールデンウィークの話題まで目にするとは・・・。話題は変わりますがフィルムセンターの2007年上映プログラムが発表されています、リンクからたどれます。 <4月7日>
▽新聞の追悼寄稿を読みながらあゝあれがお二人が会った最後だったのかと記憶を呼び戻した。植木等×小林信彦の対談「テレビの黄金時代よ!」(「論座」2003年3月号)。スーダラ節がブレイクした時に「いまだったら、あれだけ歌がヒットすれば、その年の紅白歌合戦に出るはずなんですよ。ところがHNKは、あの歌はだめだと・・・翌年に『ハイそれまでョ』がヒットしたら、今度は『出てください』って。」 要するに「世の中が変わっちゃった」と植木さんが語っている。12ページほどの対談は「あなたが七十!」(植木)、「・・・今年で初対面以来、ちょうど四十年なんです」(小林)と同窓会の雰囲気で始まっています。図書館などで読むしかないかもしれませんが、おすすめですよ。クレイジー・キャッツを歌合戦で観た印象は今も消えず、舞台の最上段から降りてくる植木等さんの姿は後光が射しているかのようにそこだけパッと明るかったもんなァ。追悼寄稿は朝日新聞3月29日朝刊「植木等さんを悼む 小林信彦」、「論座」の対談は小林著「テレビの黄金時代」刊行の翌年。さて追悼番組ですが4年ほど前だったかNHK(その時はハイビジョン放送だったから観ること適わず)で放送された「スーダラ伝説 植木等 夢を食べつづけた男」は再放送されるのだろうか、青島幸男さんの時の(追悼番組の)あまりの貧弱さにどうなっってるんだろうと情けない気分になったもの ─ 1986年放送の2時間枠「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)は消えたままとは。 <4月1日>
追記「スーダラ伝説」は4月8日 NHK教育テレビで再放送されます。見逃せない2時間。 <4月7日>
2007年4月