▽関東地方はこのところ風が冷たく寒い日が続いていますが春ももうすぐ、今週末には桜開花とのことで待ち遠しいことです。次回は(前回に続いて)「高峰秀子の本」特集を予定していますのでお楽しみに。とはいえ新聞や雑誌の掲載記事はまだまだ手つかずの状態で ─ 特に対談について「発掘」しなくては、とは考えていますがなかなか進みません、埋もれたままではいかにも惜しいというのがあるんじゃないだろうか。 <3月19日>
▽前に記したちあきなおみ伝説について「団塊パンチ」3(2006年11月 飛鳥新社)という雑誌で特集を組んでいるんですね。「宍戸錠、死んだ実弟を語る」をトップに年譜まで付いてヴォリュームたっぷり、読み応えがあります。実弟の郷^治さんといえば、館内が沸きにわいた怪作「直撃!地獄拳」(東映 石井輝男)や「6羽のかもめ」での有島一郎さんとの共演などが浮かんできます、どちらかといえば悪役が多かったのではないか、日活ニューアクションにもあちこち出ていたはず。例え顔と名前が一致しなくても<記憶から消え去ることはない>というファンも多いのではないだろうか。ちあきなおみさんの活動停止はその郷^治さんの早すぎる死と関連づけられ光があてられています。
▽向田邦子さんのエッセイといえば食べ物についてのそれが気にいっているのですが何というかキドリがとれて気持がまるくなって(情景が目に浮かぶという意味で)絵画的なんですね。「眠る盃」の「味醂干し」のなかでとうふ屋のラッパが聞こえてくる夕暮れ時、子どもの頃に食べた味醂干しが恋しくて「裏切られると判っていても」それを買うとあります。住んでいる青山でとうふ屋のラッパが聞こえるわけはないのだが「しかし、私のイメージの夕暮れには、とうふ屋のラッパが鳴るのである」。同じ本の「水羊羹」もいいですね。こんなことを記すのも新聞の小さなカコミで向田邦子さんが水羊羹に合う音楽としておすすめの「イントロデューシング」(ミリー・ヴァーノン)が復刻されるという記事を目にしたからです。正確にはそのなかの「スプリング・イズ・ヒア」が「冷たいような甘いような、けだるいような、なまぬくいような歌」でピッタリだと。水羊羹を食べるときの光は蛍光灯はダメだのいくつも食べるヤツは馬鹿だの羊羹と区別がつかないような男(の子)には食べさせるなだの「女の子」ならではのことばがイッパイですがあるべき水羊羹の「情景」については原文にあたってお楽しみください。なお「イントロデューシング」はCD店に聞きますとどこにでも置いているとは限らず注文しておいた方が無難とのこと。インディーズというんですか販売ルートが特殊なんでしょうか。結局、7日発売だというのに入手できず注文しておきましたが・・・水羊羹の季節には間にあうでしょう。新聞記事は朝日新聞3月7日朝刊「向田邦子さんの愛聴盤復刻」から。 <3月8日>
▽前から読んでみたいと思っていた「岸辺のアルバム」(1977年放送 山田太一)のシナリオを読むことができた。30年前にテレビドラマとシナリオはここまで到達していたのかと吃驚。当初、出演を断るつもりだったと(主演の)八千草薫さんのことばが「あとがき」で紹介されていますがひとつ間違えば好奇の眼だけで見られ低俗に落ちる題材だけに無理もない。しかも醜聞に敏感なテレビでの放送ですしね。作者もそれを意識したのでしょう、登場人物のほとんどすべてが抱え込んでいる小さな不満やストレス、寂しさ、反抗、逃避が毎日の生活のなかで反復蓄積され、歪みとモラルの危ないバランスで保たれていることを冷静に見せていく。途中、このまま話が進んでいってどう収拾するつもりなんだろう、責任とれるのかい、と調和がくずれていく場面を目の当りにして心配になったほど。「通俗」をここまで見つめ続けたドラマがあったとは凄いことではないか、70年代の底力なんだろうか。 <3月4日>
2007年3月