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2010年2月

▽ 高峰の本や対談のことばはいつ読んでも、例え一度読んだものでも再読してみるとまた「電球が点る」。どこかで聞いたような考えや上っ面をなでたような落とし込みがない(と当サイトは感じる)。平凡な暮らしのディティールがぎっしり埋め込まれているからだろうか、人が真面目に話しかけている最中に「このなべがねぇ」なんて、こういうところをすくいあげて書きとめてくれるところが「高峰秀子の流儀」のお楽しみのひとつ。誰よりも平凡で自然な生活を望み、普通の暮らしを営むことの難しさを知りぬいていた方であることは「女優と言う名の人形」(文藝春秋臨時増刊 映画讀本 S28)を拒否し「平凡で、誠実で、ありのままで」(まいまいつぶろ」)の生き方を願い、今こそ「素人に還る」(私のインタヴュー)と宣言した高峰の「綴りかた」のいくつかをたどれば浮かびあがってくる動脈だと思う。 続 <2月3日>

▽ 承前 高峰の舌鋒は快調そのもの、運動の甲斐あって麻布永坂は変更されることはなく歴史を受け継ぐ。(注1)
当サイトは高峰の著書はもちろんのことですが対談などの口跡が好きで目につく限りは読んでいる。雑誌などでの一回限りの対談が結構あるはずだしこれから発掘するのも楽しみのひとつ。どれを読んでもまったく外れなし、ことばが弾んでいきなり核心に切り込むスリルまで味わえてワクワクします。先の新聞記事など取材の記者も笑いを噛み殺しながら記事をまとめたのではないか。(松山善三の)父との会話が「わたしの渡世日記」(朝日文庫 下巻 282−283ページ)に紹介されていますが、こちらもおかしいですね、「大切な舅のヒゲがチャップリンそっくりなので、彼を『チャップリン』と呼んでエバっている。」と書きだしているところです、「チャップリンと私は、いつも松山善三をサカナにしてはお互いのウップンを晴らして笑いこけるのである。」 嫁が舅に電話で「チャップリンもたまには東京へ出ておいでよ、善ちゃんも元気よ」と呼びかけるのも相当おかしいけれど(善三が)「あんまり分かんないこと言ったら、かまうことないから秀子サン、殴っちまえ」「ホンジャ、一発やるか!」なんて笑いあっているのも変わっている。いい雰囲気でしょ。「わたしの渡世日記」は当サイトから見るとあまりにも陰影が深くどうしても緊張して読んでしまうけれど、高峰の大切にしているやわらかな断片がキラキラ光っているところも気に入っている。高峰秀子には普通で平凡なオバさんのセンスが中心線にあるのだろう、ここは絶対外さないという心棒。
高峰秀子の「流儀」というと品格や上質ということばと同じで少々眉につばつけて読む方もいるかもしれない、しかしこの本はニンゲンの優劣というよりそこを超えた人の素の良さをていねいにほぐしてくれて想像を駆り立ててくれる。「震える弱いアンテナ」がくっきりとその姿を現す、その時を捉える瞬間なんてことばにしがたいほどの魅力があります。それが斎藤が見据える「流儀」なのだろう。「ふわっとしていてね、しわくちゃになっても滋味があって。」─このことばは森本哲郎との対談にある高峰のことば(注2)ですが「高峰秀子の流儀」のなかに流れている時間や匂いも同じではなかろうか。
その時間、その匂いは子どもの頃に遊んだ空き地や朝もやのあぜ道、夕暮れの風景、ビルに変わってしまう前のオカミさんたちの笑い声まで聞こえてくる長屋の一角へと連れ出してくれる。映画「綴方教室」の空き地、「秀子の車掌さん」のはるかな道かな。時代も私たちも随分遠いところまで来てしまったけれど「なりたいなあ」と願っていた<自分>ってこうだったんだろうか。
「高峰秀子の流儀」には座標軸が、高峰の巧みなことばで言えば「人間のおへそ」があって、そこへ私たちはいつでも帰ってゆける。終わりのない始りか。
「ふわっとしていてね、しわくちゃになっても滋味があって」そんなおばあちゃんに高峰はなったんだろうか、それともまだまだ途中よと言うのだろうか、「私は、いつでもここにいますよ」と表紙の高峰は女優の顔してほほ笑んでいる。けれども写真をクルリと回すと聞こえてきませんか、「ほぉら、出来たよ、熱いうちに食べなよ」と暮らしの中の声が、笑い声が。 <2月25日>
 
(注1)「東京人 2005年5月号 東京の地名」が詳しい、小林信彦が両国で近藤富枝が矢ノ倉町だったのが東日本橋に変更されて子どもの頃から親しんだ土地の名前が素っ気なく変えられたと語る、「対談 地名が消えて町が変わった。 近藤富枝 小林信彦」「町名はいかに守られたか。 石村博子」に反対運動にたずさわった松山善三の話が紹介されている。 
(注2)高峰が「この梅干しのようなおばあさんになりたい」という手紙を添えて森本へ梅干しを送ったときのエピソードからの発言。「ああいう梅干しばあさんになると思うよ」「なりたいなあ・・・」。「テレビエッセイ すばらしき仲間U」(ティビーエス・ブリタニカ 1977年 「人間・歳月・出会い」)

▽承前 その動脈を流れる感度というのかセンスというのかあるいは美意識というべきなのか、そのうねりはとどまるところを知らない。「震える弱いアンテナ」(注)がヒシヒシ伝わってくるデビュー作「巴里ひとりある記」そして「まいまいつぶろ」以後の著作を追っていくとそんな太い線を感じさせる。そして斎藤明美の「高峰秀子の捨てられない荷物」に続くこの本で高峰は時代を隔てた光でもう一度捉えなおされる。「自分の足で立ちたい」というけなげで震えるアンテナは何を取り込み、もみほぐし、自分なりに組み立てたか、そこんところをジックリ伝えてくれる。
当サイトがとてもかなわないと感じるのは高尚なことではなくてむしろ取るに足らないような高峰語、俳優の上原謙を<削りたての鉛筆のようだ>とパッと捉えてことばに移しかえたり、コンビニのサンドイッチを<あそこのチビマーケットで買ったの>なんていいですね、ホテルのティールームの一角、にぎやかな有閑マダムたちを横目に<家へ帰って本でも読め>と言い放つ、好きだなこういう真っ当なオバさん。極め付きは「あんまり憎ったらしい女に書かないでね」と席を立つ地名変更断固反対の高峰の剛速球。高峰の断固反対は昭和52(1977)年3月2日の朝日新聞(朝刊 東京版?)に載っている記事ですが、「住居表示の変更」により高峰が住んでいる麻布永坂町の町名が変えられそうになった事件。
一部を引用したい。(町名を変える)「理由がないんだ、理由が。なに、なに、住居表示は住んでる人のためのものばかりじゃあないって、冗談じゃないわよ。じゃあ、だれのものよ。」今の町名なんて別に由緒なんてないからこの際スッキリした表示に変えましょうという区役所側の意見に「そこっ、そこが違うんだ、狸の穴だって、長い坂だって、それが土地ってもんだし、人間が受けついて来た愛着っていうか、歴史なんだ。わからないのかねぇ。」そして「むこうがまがってくるんなら、こっちだってまがってくから。ええ、やりますよ、何度だって、反対なものは反対なんだ。」 こうして「憎ったらしい」に戻る。 続 <2月18日>

(注)「あらゆる仕事/すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・」 茨木のり子 「汲む」 /は行替 「巴里ひとりある記」を読むといつも感じるのはこの詩の一節。