▽なんだかんだで師走に突入、夏の陽射しが強く長かったせいなのかいきなり来たという感じ。時の流れにペースを合わせなくては、気分は秋だったのに・・・。
いい本だよ、と知人にすすめられ買ったのが「どんなかんじかなあ」、中山千夏さんと和田誠さんの絵本。昨年、自由国民社から刊行。(アップだった)キャメラがスーッと引くとそうだったのか、と分かる映画みたいだな、絵も文章にピッタリ寄りそってそんな構成に。この瞬間は衝撃的ですが文も絵もさりげなく柔らかくていい、見えないところで練りにねられた積み重ねがあったんじゃないだろうか。 <12月5日>
▽自身の体験も含めていつも気になっていることですが師というものはそんなに簡単に乗り越えることができるものでしょうか。例えば山本嘉次郎、島津保次郎。「蝦蟇の油」(黒澤明)での山本嘉次郎を偲んだ文章は黒澤が青年時代に戻って涙して書いたんだな、ということがヒシヒシと伝わってきて好きなところですが脚本家としてもダビングにしても食や風俗に関しても山本監督は一流だったと書いている。島津については「木下(恵介)さんと吉村(公三郎)さん、両方とも島津保次郎さんのお弟子さんでしょ。いかに島津さんという人がすばらしかったかということですね」という高峰秀子の発言<「日本映画名作選」座談会 ( )は引用者>があります。山本も島津も黒澤、木下、吉村の影に隠れてしまったように見受けられますが名匠を育てただけの方とは思えない、開拓はまだこれからではないだろうか。ちなみに「黒澤明の食卓」(小学館文庫 黒澤和子)に山本嘉次郎─黒澤明─黒澤和子という線が見えていませんか。もちろん著者が意識して綴った本ではないはずですがそんなつながりを感じました。黒澤和子の本はどれも爽やかで下手な解説本を軽く超えている、どうしてこう颯爽とした風が吹き込んでいるのか、これも気になっている謎です。 <12月6日>
▽10日の日曜日の昼下がり、FMラジオから聞こえてきた声は向田邦子の声。ちょっと高い声で「飯喰いドラマだなんて云われていますが食卓はその家庭のシンボルではないかと思う。食べるシーンで上手く演じる役者さんは一流だ・・・」という内容。日曜喫茶室という番組での30年前(?だったか)のテープだとか。没後25年、「向田邦子の残したもの」─番組のゲストは向田和子さんと太田光さん。昨年もテレビの「知るを楽しむ」で團伊玖磨と向田邦子の対談シーンを流していましたが、あのやや高い声には意外な感じでビックリ、普段はもっと低い声でしたと和子さん。太田さんが向田さんは戦争を戦場で描くのではなく、茶の間(の物語)の中でその悲惨、哀しみ、愚かさを書いたんじゃないかと思う、状況にごまかされない人だ、という趣旨のことを話していました。妹の和子さんは姉がつらい時期に私がボーッとしていたことが却って姉にとっては良かったんじゃないかと今思う、と。轡田(くつわだ)隆史さんが歴史の教科書を見ても判らない、昭和という時代の家族、ことば、匂いや音などがギッシリ詰まっているのが向田作品だとまとめていました。師走は少し昔のことを想い起こしたくなる季節かもしれませんね。番組でも今、向田邦子さんががいたら・・・ということばが何度もでていたように。かって木下恵介が「日本の悲劇」というタイトル(凄い題名)で家庭(族)の残酷さを抉りだしていましたが茶の間(従って家庭)に潜み流れ込んでくる「不幸」をジッと見つめドラマにしたかもしれませんね。   <12月12日>
▽“あれっ、なくなっている”、街の古本屋さんが消えていく。そんな光景をあちこちで目撃すると複雑な心境になりますね。夏ごろからでしょうか、1軒、また1軒と(場所はそれぞれ違いますが)移転ではなくどうやら廃業の様子。サイトを運営していてこう云うのはなんですが何があるのか分からない、見たことのない本との出会いは手にしてみないと掴めないところがあります。時をくぐってきた本の疲弊や肌触り。何が水面下で何が起こっているのか。誤解を恐れないでいえばヤケもなく擦れもなくシラーッとした美本の古本を手にすると“こいつはまだ青い、苦労がたりない”なんて気持になる、ヤケて擦れて痛みのある本だとよくぞここまで耐え忍んできたナという愛着を感じたりして。街の古本屋さんの主流は雑本だとはいえまだ時間の評価を経ていない「寝ている」本かもしれない。本は読まれてこそ本になる(栃折久美子)ということばがよぎる、もはや新・中古本も消耗品か。 <12月16日>
▽関東地方も昨日はグッと冷えて、年の瀬だなァという実感がでてきました。「東宝に久々の大型新人(といっても2、3年のキャリアがあるとのこと)が現われた」と聞いて映画見物に行こうと思って調べるとその日が最終日でしかも東京まで行かないとダメ、結局断念。またズレてしまった。昔なら二番館に降りてくるのを待つか名画座で追いかけられたのになァ。今、スターらしいスターが出てくるとすれば東宝以外にちょっと考えられないだけに楽しみ、しばらくおあずけではありますが。 <12月20日>

▽前回、東宝に大型新人登場という話を書いた翌日、横浜地下街の書店をのぞいたら、長澤まさみのスター性について小林信彦の新著「映画が目にしみる」がすでに捉えていました。目ざといですね、さすがに。当サイトはラジオでの星由里子さんのことば ─近頃流行の顔じゃなくてオーソドックスな女優がでてきたと語っていました─ から知ったのですが。小林さんの本ではタレントでもなくアイドルでもなく正味の「スター」女優だとある。かって東宝は内藤洋子、酒井和歌子の青春路線が中途半端にポシャッてしまい輝けるスターの輪郭が(点在してはいたにしても)ボヤけてしまったような印象があるだけに今の時代にスター登場とは嬉しいですね、それは即<事件>といってもいいくらい。何とか間にあったナという安堵感と光が灯り始めたという期待で来る年に繋げていけそう。それにしても一体、何十年?ぶりのスターだろう、銀幕で輝く女優を見られるのは。 <12月25日>
▽新刊書でやたら面白かったのが「映画をたずねて 井上ひさし対談集」(ちくま文庫 2006年11月)と「週刊誌血風録」(講談社文庫 長尾三郎 2004年12月)。どちらも単行本はなく文庫でないと読めない。井上さんの本は映画の黄金時代をリアルタイムで抱え込んできただけに(映画が生きる上での唯一の慰めだったとも話していますね)自分にとっての映画を目を細めて慈しむ感じがでていてどの章も愉しいし、こんな見方があるんだという発見も。澤島忠監督、高峰秀子、小沢昭一・関敬六の対談が印象的でした。長尾さんの本には昭和30年代が週刊誌の時代でもあったこと、元全学連と演劇くずればかりだったという記者たちが「何か面白いことないか」と大事件からゴシップまで追っかけていく熱気が充満している。そのまま「もう一つの昭和史」(帯のことば)ですがアンカー列伝とともに舞台裏が明かされる。雑誌の黄金時代の輝き、エゲツナさと反骨精神のごった煮のようなエネルギィに誘われて一気に読めました。 <12月25日>

▽2006年は日本の「ほころび」の商品目録を見せつけられたような一年でしたが、ページをめくるように新しい年の足音が聞こえてきました。時はうつろい、季節はめぐる。しかし、2006年に逝った方々を偲びながら少し昔を呼び戻したい気分。今村昌平、黒木和雄、久世光彦、田中登、小田切みき、竹久千恵子、七尾怜子、田村高廣、丹波哲郎、藤岡琢也、岸田今日子、青島幸男・・・。映画の黄金期、その流れを汲む遅れてきた世代、TVが輝いていた時代がまたひとつ遠のいていったようです。今年の春に聴いた「Still Crazy for You」が音としてはピッタリかな。まだアナタに夢中と。田中登監督については「キネマ旬報12月下旬号」の追悼(北川れい子)が早すぎる別れを惜しんでいますね、結びのことばは「口惜しい」。映画ではなくテレビが多くなり、いつも気になっていた監督のおひとりだけに無念が伝わってきました。あの頃の─日活時代─映画ともう一度劇場で再会したいものですが・・・。  <12月28日>

最新情報にもどる
2006年12月