▽お客さんから教えていただいたことですが雑誌「ミセス」の10月号 創刊45周年の記念特集「ミセスアーカイブス」に高峰秀子さんのページ(11ページほど)があります。暮らしの道具や装いなど高峰のエッセイにみられる審美眼や年とともに輝きを増した生き方はこの雑誌の「原点」だったとあります。梅原龍三郎と高峰、「スターとして映画女優として」(金井美恵子)の記事もあり読み応えがあります。まだ版元にはバックナンバーがあるようですので興味のある方はどうぞ。「ミセス」は文化出版局の刊行ですが名著「瓶の中」(昭和47年)もそうですね、さかのぼれば最初の単行本「巴里ひとりある記」の文章、自筆のイラストや独楽をあしらった表紙や装丁にキラキラ光るセンスの良さがありました。 <11月7日>
▽こんな面白い人たちがいる、世の中まだまだ捨てたものじゃあないぞと感じさせる「銀座ゆうゆう人生 こんな快人物みつけた」(昭和48年 講談社 上坂冬子 続と合わせ2巻本)。あとがきで著者がどの人も「へつらって生きていない」ところが共通している、気合がかかった方との話はだから愉しいと書いています。「へつらわない」のは聞き手である上坂さんの筆もそう、「汚い店だってことは聞いていた。聞いていたけどこれほどとは。」で始まるガード下のバー、およそヨイショがなくてよくぞ書いたもの。立って呑むお客もいるというこの店のくつろぎの時間はヒシッと伝わってくる。昭和40年代にはまだまだ誇りたかき奇人・変人・天才たちが健在で、その周囲の密度も濃かったのだろうか。くつみがきのおばちゃんやすぐ話題が逸れるトンカツ名人、(倉庫かと思った)バーの女主人(野中花!)などなど快人たちの語録は昭和時代探訪必読のもの、ダイジェスト版の文庫でも快談は味わえます。どうしてこの本に光があてられないのか・・・不思議です。 <11月13日>
▽黒澤明監督の遺稿脚本「雨あがる」(2000年)をやっと読むことができた。映画は封切の時に観てはいますが今の時代に伝えたい点描がくっきりとでていることに驚いた。6年前の作品ですね。この映画を軸に据えてみると世の中の歩みは不協和音や病理がどんどん拡大しているような気配、それらが個々人にとっての小さな生活にまでしのび寄ってきたのではないか、というような印象が強い。世の中とズレてしまうことや乗り遅れることへの不安というのは結構強力ですしね。だから、ここ20年ほどテレビをほとんど見ていない「いちばん最近テレビを見た時は、小柳ルミ子が“私の城下町”を歌ってたなあ」(「似顔絵物語」和田誠 「名人たち」)というような「大笑い」の話題に接するとホッとします。あちこちズレてしまってどんどん乗り遅れてしまっていいのではないか、なんてね。 <11月26日>
▽「大阪人」という雑誌がありますが大阪を舞台にした日本映画特集「大阪映画伝説」(2002年6月号)、大村崑さんと30年代テレビを特集した「郷愁・昭和30年代」(2006年5月号)がいいですね。川島雄三を偲んでの藤本義一さんの文章やコンちゃんインタビューなど力が入った誌面、まだバックナンバーがあるようですから注文できそう、「大阪人」と入力すればホームページにたどりつけます。各580円、版元は(財)大阪都市協会。
<11月30日>
▽最近気になること、昭和30年代か40年代始め頃だったらこういう本の造り方をしただろうか、と疑問に思うことがあります。中身とカバーがそぐわない妙な感じ、もうひとひねり出来ないものかと「安易な」デザインにタメ息がでてしまう。例えば「こころを動かす言葉」(加賀美幸子)は、いかにも、という女性向けを意識した表紙で営業意図が透けてしまうような印象を捨てきれない。購買層(恐らく40歳代以上の女性)を考えてデザインを絞り込むのは当然とはいえ、そのことによって何かが落っこちてしまったのではないか。空虚な本だったらこんな想いは抱かなかったでしょうがこの本は女性のためだけの人生指南でもなければ(含みはします)、華やかに見える(らしい)アナウンサーの洒落た会話読本でもない。知名度がある著者でハードカバー四六判240ページ、1,575円というのはむしろ良心的な本の造り方なのかもしれませんが・・・。<何か違うな>という気分は中身を読むと一層強くなってしまう。すぐ色つきのレッテルを貼ったり、ひとまとめに読者をくくってしまう大雑把な感覚が先行してしまっているようで。要するに(本という)モノに対する愛着が稀薄なのではないか、というのは云い過ぎでしょうか。 <11月30日>
2006年11月