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2009年11月

緊張が走った
▽ このところ備忘録も書く気にならずボンヤリ過ごしていたのですが例によって婦人画報の12月号の例のページ(「高峰秀子との仕事 第12回」)をめくっていたらエッと小見出しが目に飛び込んできて吃驚、あわてて頭から読みはじめた。松山・高峰ご夫妻も考えてみれば80歳代の半ばだからこういうこともありうるのでしょうが大事に至らなくて良かったです。それにしても頑固というのか何と云うのか・・・緊張が走った瞬間でした。
もうひとつ今回掲載した小雑誌「サントリークオータリー別冊」の対談から何かが動きだした。その対談は太地喜和子と長田渚の対談ページなのですが何ともいい雰囲気なんだ、これが。長田の写真なんて涎(よだれ)を垂らさんばかりのとびっきりの笑顔、読んでみると太地は長田を妹分だと呼び長田にとって太地はあこがれの姉だという間柄。長田は女優になりたくて太地と同じ学校をめざすのだが卒業して“太地喜和子を抜くことはできない”と女優の途を断念する。その後仕事で太地と初めて会うことになった時、長田は「感激で震えましたね。」 受けて太地は「対談のお仕事なのに、花束を抱えて飛んで来るなんてね、アハハハ・・・」と笑い飛ばす。いい場面です。憧れの人がいるということ、打ちとけて姉、妹と呼びあえる関係になって同じ時代を過ごしていけるという幸福。長田の笑顔はすがすがしい。
そういえば長田には太地についての著書があったはず、そう思って早速取り寄せ読んでみた。本は「欲望という名の女優 太地喜和子」(平成5年 角川書店 現物未確認ですが文庫にもなったようです)。妹分の長田がどう書いたか、面白くないわけがないという予感。
最後の「いと、いとおし」にたどりつくまでアッという間でした、読んで大正解。長田にとってかけがえのない姉を自分に重ね、突き離し、たじろぎながら冷静に証言(者)を積み重ねていく。緊張の糸が少し強すぎるのではと感じるほど。 続 <11月5日>

▽ 承前 「欲望という名の女優 太地喜和子」という本を興味本位で読みだした当サイトなのに場面が急接近してきて旋回し始めたのは本を開いてそんなに時間は過ぎてはいない頃、それは「やったげようか」の一言から。
やったげようか
やるとは“殺る”のことで、まるでTVドラマの復讐劇のようですが<私>が太地と出会って間もないころの一場面が描かれている。あんたの(好きな)男はどんなふうだった、というような太地の問いかけに対しての話である。
<私>は本当は辛い思い出 ─ 一言でくくれば男の裏切り ─ を「笑ってもらうつもり」で話した。しかしテーブルの下に置いたその手の指は爪がくい込み屈辱を忘れてはいない。じっと耳を傾けていた太地はどう反応したのか。
「テーブルの下にあった私の左手をゆっくりと引っぱりだしたのは、キワコさんだった。・・(略)・・あんたまだ、そんなに力を入れないと、そのことをしゃべれないんだよ」(28ページ)
爪のくぼみがつくほどに握りしめた<私>の手指を太地が「指の一本、一本をゆっくりと開かせた。」 ・・・そして「やったげようか」であり、「こんなにまじめに生きているのに、そんな目にあうこたあねえよ」のことばがかぶさる。<私>は今でもその声を忘れていないとある。
「殺ったげようか・・・・今もあの声を覚えている。」
<私>は書いている、太地は人の痛みの分かる人だった、残飯をあさるおじさんも総理大臣も「ひっくるめておなじ」ように見ていた人だとも記している。
しかし、<私>はなぜそのことを、辛い想いを書いたのか。太地亡き後、適当に他人のエピソードに装って脚色しようと思えばそうできたはず。本文に書いてあるからといって軽々しく引用することがはばかれるほどの痛みを明るみにださなくても誰も責めはしないだろう。そうしなかったのは、たぶん、“<私>は太地喜和子の妹(分)だ”という誇りに賭けたからではないか。「自分の身の丈を縮めて人の話に耳を傾ける人だった」(31ページ)、「人前で女が泣くのが大きらいな人」「嫌いな人に対しては反抗期の少年のようにふるま」う人・・・太地喜和子を書くのに小手先の技巧では失礼だということを<私>は知りぬいていたはず。<私>がホレぬいた太地喜和子 ─ この本はその魅力の在りかを探る旅のようだ。けれどもその旅は太地が背負った十字架を自分自身も背負いながらの旅のようだ。先に「緊張の糸が強すぎる」と書いたのはそんな辛さが伝わってくるからです。太地が(自分のことを)「書きなさいよ」ということばを残したとはいえ、<私>にとって太地のことはどうしても書かなければならないものだったのでしょう。 続 <11月11日>
▽ 承前 太地喜和子の対談ものは結構多い。「欲望という名の女優」で対談について触れているところがある。著者は大宅壮一文庫でそのほとんどを読んだが「読み物として際立って面白い」、太地にその完成度の高さを尋ねると「だって・・・・全部あたし見て、直してるんだもん」(129ページ)と答えたという。当サイトが印象の強い対談は二つです、太地の手が加えられたかどうかは判りませんが青島幸男との対談と和田誠のそれ。
青島幸男 対談集 ホントはどうなの・・・
この対談(集)はとても雰囲気が良くて中年男(青島幸男)の照れや強がり、ハニカミがでていて(特に太地と夏目雅子の章)気に入っている本。太地は対談の始めのほうで青島について「・・・ああ、よかった。お話しやすそうな方で、あたし、初対面の方とは少し(酒が)入らないと、非常にテレ性でダメなんです。」 青島先生という感じかなと思っていたのに話しやすそうで良かったという太地に「ぜんぜん、“先生”が身につかなくて」と返し笑う太地と一気に打ちとけていく。
太地がなぜ芝居に打ち込むのか、ゲイバーの人たち、OLやってた人たちが近松を観て「人生短いんだからマンネリで生きてちゃいけない」「自分でやりたいことをやっていくのが人生じゃないかしら」と元気を取り戻してくれる、「生きる証しを自らに問う」声が熱く届いてくると語る太地。頑張ろうって気になるのは芝居しかない、「一つ決めたらこれだけ、っていう性格。だから、私は男が好きな恋多き女とかなんとか見られてますけど、芝居ほどは(男に)興味ないんですよ。」 青島は対談後の一言で「最も心に残ったのは、眼の輝き」で“菩薩の慈愛と闘志を感じさせる鋭い光”と形容している。 続 <11月18日>

▽承前 「生きる証しを自らに問う」とは青島幸男が対談のなかで言い直したことばですが的確な表現かもしれない。一歩が踏み出せない、迷いと惰性の繰り返しをふっ切って「喜和ちゃんたちの芝居見て、私も頑張らなくちゃと思ったわ」─ ゲイバーの人たちがいっぱい楽屋に来てそう語ってくれる、嬉しいと話した大地、「マンネリで生きてちゃいけない」─ 大地の芝居を観て仕事を変えたり自殺を踏みとどまる人たちの声が伝わってきたとある。そんな声援に励まされるという。、「欲望という名の女優」にもゲイの方たちのエピソードが記されていますがそれは大地の出棺の場面。

「棺を霊柩車の中へ運び入れようとしたときだった。野太い男の声がした。/傘もささずに手を合わせていたおかまのおじさんやお姉さんたちだった。/“キワコ、ありがとッ、幸せだったよ”・・(略)・・唇を震わせ、数珠を握るその声は、彼が心を込めて叫んだサヨナラの数々だった」(34ページ /は行換えを示す)。

大地の芝居で蘇生した方たちが少なからずいた、「やったげようか」を忘れないと刻んだ<私>もたぶんその一人でしょう。指をゆっくり開いてくれて低音の囁きを聴いた日の帰りの場面、「夜明けの町にカラスがにぎやかに鳴いていた。少しフラフラする頭で、マンションの四階を見上げると、両手を大きく振ったキワコさんがいた。にこにこ笑ってピョンピョン跳んでみせた。」(31ページ) すぐ続けて(私は)「なんだかキツネにつつまれたような気分でゆっくりと坂を登って行った。」 

大地が跳んで見せたのは楽しかったヨ、なのかくじけるな頑張れなのか・・・。 続 <11月25日>