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2009年10月

▽ 石垣りんの追悼特集(「現代詩手帖特集版 石垣りん」思潮社 2005年)に付いていたCDを聴いていたらどこに着地してよいのかとまどうような不思議な時間を味わった。自作の詩を読む合間に少しの語りがあってその詩を作った時の想いだとか周りの反応などを話していく。それぞれが沁みてくることばなのですが分からないから詩を作ったという作品ついての一言が面白い。
「分からないこと、いっぱいあってほしいんです。不思議なこと、いっぱいあってほしいんです。みんな分かる方向へ、分かる方向へ動くの。分からないことって素晴らしいんです。私、大好き。」
分からないまま温めていけばいいんじゃないということなのか、ゆっくり行こうぜというようにも受けとることができるし、あるいは何について分からないか、そこに自分らしさがあるとも思えるし・・・完結しないことばです。さっさっと分かって(分かった気になって)次、いこうというのはわれわれの得意のパターン、TVの画面が次から次へとせわしなく動き回り2、3か月前の出来事ですら誰も振り返らない。そういう毎日に慣らされて時は空しく消費されていく、詩人は分からないことに目を据え続けて耳を澄まし発酵するものを待つ。大人も子供もみんな忙しい・・・たぶん手っ取り早く答えを求めすぎるというのはそうなんでしょう。別のところで石垣は小学生の頃から○×で答えさせるなんて、自分の言葉で話すことを教えることが大事なのに、怖いことだとも語っている。  続  <10月6日>

▽ 今、おかしなことというのはTVやラジオ、新聞を眺めていると日常茶飯のごとく目にし耳にする、ほんのちょっとしたことが気になりこれはオカシイ、間違ってるという感じ。例えば、またまた「ゲバゲバ哲学」の井原高忠を引きますが「よろしくお願いします」についてこう話している。「出演者同士で『よろしくお願いします』『よろしくお願いします』って、朝から晩までよろしくがっている。」(234−235ページ) 「言わないのは『クローズアップ現代』の国谷裕子さんぐらいです。あの人は、相手を紹介したらすぐ話を始める。」と続けている。
その国谷の番組をニュースに引き続いてボオっと眺めていたら暗い話題をとりあげていた、10月7日のものですが助けを求めることができない30代の若者たちの姿。助けてという声を投げかけられないまま死に至ったり、ホームレスになったり・・・“90年代に企業について云われた勝ち組、負け組ということばが個人にまで降りてきた、悪いのは頑張らなかった自分なのだ、能力のない自分だという意識に変ってしまった”と作家(平野啓一郎)が答えていた。支援のNPOだったかの方が「助けてと声をあげられない社会って哀しすぎる」と話していた、どれも印象的なことばでした。 続 <10月10日>、