▽10月19日放送の「徹子の部屋」(ゲストはNHKを退職して民放初出演の山根基世)の会話を文字にしてみるとジワッと響いてくるものがあってその一部を記録のためにも紹介しておきたい。
▽女性が男性と対等にニュースを読むことやメインで番組を担当することは入局当時はなかった(山根)、それはNHKだけのことじゃない(黒柳)というやりとりが交わされて ─ 
黒柳:「女のアナウンサーの人はどうしたらよいのか悩むこともあったんじゃないですか?」
山根:「そうですね、ある年齢になると女性アナウンサーはどうしていいか分かんなくなる状況があって、限られたワクのなかで椅子とりゲームみたいな仕事をしてきて隣の人が何を担当するか、そのことと自分を比較していくという生き方をすると、これは地獄です。とても自分が救われない。そうではなくて自分が放送局にいるってことはどういう意味があって、放送というのは何をなすべきか、何を(自分は)したいのか、キチンとおなかのなかで落としていくことによって逆に自分が救われる」 
「ある年齢になると・・・」というのは分かりますね、若い女性というだけで周りもチヤホヤするということもあるでしょうが年を重ねていくと女性ならではの壁も立ちはだかる。仕事や職場をめぐる不安、羨望、ひがみ、劣等感、独り善がり、孤立、あきらめなどは遠い世界のことじゃなくて誰もが日々ふれている世界だから「地獄」はまさに紙一重かもしれない。そのジレンマからどう脱出したか。
▽山根:「戦後50年、町や村の片すみで女性はどう生きてきたか、その方たちの話を聞くと“このことを言わないと死ねない!”という思いを抱えながら、でも伝えるすべを持たない人が大勢いる(ことに気づかされた)、私たちは放送で伝えることができる場にいながら今まで何をしていたのか、この人たちの思いを伝えていこう」
そして番組を提案して作っていくことで女性の意識も変わっていった、と語る。
山根:「ゴールデン・タイムの視聴率の高い番組をやることが価値があるということから抜けだして自分が放送の場でやるべきことを見つけると自分が救われるんですね。」 
▽話されたことはほとんど山根の本にも記されたことの一端でしたがそれらはまさしくひとつの世代が<どう生きてきたか>についての優れたリポートなんだと改めて感じました。番組冒頭あたりで語っていた「戦後民主主義教育の申し子」の世代が自分の感性で受けとめてきたことを粘り強く綴っています。最初の本「であいの旅」にある受刑者との対話を読んだ時は鳥肌がたったことを憶えている。ことばのカケラが日常という世界をつくっているという怖さ。
番組で山岡久乃インタビューでの印象を「志の強さ」、「友情のバトンタッチ」ということばで表していました、この思いはそのまま山根の著書の芯にあるもの、懸命に走ってきたリレー走者が次のランナーへバトンを渡そうとする姿勢があるのでは。
「私もひとりでずっとやってきたからその気持よく分かるワ、山根さんいいことばお作りになられましたね」と黒柳が笑いながらもうなずいていた山根造語の“行き倒れ婚” ─ 「あの頃は(心身ともに)疲れてて毎日が荒野に立ちつくしているかのような不安な気持だった、行き倒れのように倒れこんで結婚したから・・・」 ─ には笑いましたがどうしてあんなに疲れ不安の日々だったんだろう、と微笑みながら振り返ることができるところまで来たんですね。もちろんその足どりはまだまだ続くことが予告されていますが。
▽亡くなる前の山岡久乃インタビューは追悼番組として2回に分けてラジオで放送されたという。山根の著書にもその経緯は詳しく(そして感動的に)記されていますが、聴いてみたい放送のひとつです。なお山岡久乃インタビューについては備忘録(6/12)をご参照ください。


▽TVドラマでお客さまから“おすすめですよ”と教えていただいた番組早速見てみました。「歌姫」(TBS 金曜 午後10時)、3回目でしたのでストーリーがよく分かりませんが頭からテンポがよくて快調、ウン、これはいける。舞台は土佐で(海辺の近くだろうか)嬉しいことに映画館がメインの背景になっている、ポスターから裕次郎・旭・ルリ子の時代、昭和30年代から40年代らしいことが分かります。シャレたマンションの部屋や高層ビルなんてお呼びじゃない、荒っぽい台詞が土地のことば(土佐弁?)で語られているせいかイキがいいこと、南国の風が吹いている気分。出演者(主演は長瀬という方ですが黒のダボシャツがいい、風吹ジュン、高田純次ら)が熱くなってノッテることが分かります、チマチマしたぬるいドラマにうんざりしているのは視聴者だけじゃない。おっ、出た、またしても斎藤由貴の怪演が! この方を見るだけでも損はしないけれどクロワッサンとかいう「冷たい目」のおニイさん(の変貌ぶり)も怪しかった。どうやら予定調和をツキ破る面白さが待ち受けていそうです。ひょっとして重喜劇か(?)  <10月29日>
▽「20世紀詩人の日曜日」(1992 マガジンハウス 田村隆一 近日掲載)。田村を揺さぶり続けた11人の詩人たちをグラス片手に語ったものですが各章のマクラにある文明・時事放談が痛快。例えば「事に当たる、事に当たって発するものを思想っていうんだよ。つまんねえ学者どもがね、事にも当たらず・・・」 それは思想じゃなくて知識じゃないか、という問いに「いや、知識だって怪しい知識だぜ。(略)何が構造主義なんだよ、笑わせるなって。」 聞き手「ここへ、構造主義が来てたんですか?」「だって雑誌読むとさ、何か難しい論文書いてるよ。何が構造主義なんだよ。記号論か? あんなもん笑わせるなって言うんだ。」(212ページ) いやはや毒舌健在、書物では書きにくいことばが飛びだしてきてその語り口が刺激的です。
▽田村は言う、今の日本にはオリンピック以後全部変わってしまって貧しさがなくなり欠乏感だけが残った、欠乏感とは欲求不満のことだ、貧しさ(が持っている豊かさ)をもっと突き詰めて勉強してみる必要があるんじゃないか。そして「だいたいパルコがいけねえんだ(笑)。下品ってことがわからないんだ。・・・(略)・・・カワイイおばあちゃんがだんだん少なくなってきた。昔はカワイイおばあちゃんがいましたよ。貧富の差にかかわらず、本当にカワイイおばあちゃんってのはいなくなった。」 下品がわかりゃ立派なもの、「品」というもんがわからなくなってしまい今や死語じゃないかと。田村のいう「カワイイ」は品のことなんでしょう。
▽田村の語り口は学生時代を思い起こさせる、かってはこういう大人の教師や思想家がいましたね、主義主張の是非以前にその姿勢や構え、態度から多くのものを学ばせていただいた。高みにたってモットモらしい教義を説く「権威」を皮肉り、欧米の新学説をなぞるだけで耕すことをしない「知識人」をこきおろし、ホラも吹けば好き嫌いもハッキリ断言する、懐かしい声たち。上っ面ばかりなでてないで自分の足で歩け、頭で考えよという励ましを受けとったような気がする。田村もハッパをかけています、ポエジーの語源は「物を作る」って意味だ、就職など目先のことばっか考えてないで物を作れ、と。 <10月21日>
▽2週間ほど前のこと、ラジオから流れてきた「若いってすばらしい」という(懐かしい)歌のいいこと、のびやかで明るく弾んでいて、新鮮な再会でした。忘れていた名曲。そういえば同名の本があったなァと読みだしたら自分自身で一番好きな曲がこれだと宮川泰が書いている、作曲 宮川泰 作詞が安井かずみ(これは意外でした)、歌 槙みちる。本は産経新聞出版から今年でています、「若いってすばらしい 夢は両手にいっぱい 宮川泰の音楽物語」。尊敬する中村八大の「明日があるさ」(作詞 青島幸男)に感動して作ったものだとあります。そういえば同じような明るさがどちらにもあるな。この感じはどこか懐かしい。
▽この本は昭和6年生の宮川の自叙伝でありプロになってからの「音楽物語」。終わりあたりで最近の歌謡曲はリズムだけが氾濫して心に訴えてくるメロディが乏しい、今ヒットチャートに乗っている曲の大半は数年後には誰も口ずさむこともないだろう、音楽自体が癒されるための存在なのにその中に「癒し系」などというカテゴリーを作る音楽市場の愚かさ。宮川が云う誰もが心地良いメロディは「1970年代あたりまでは」あったというのは実感です。今は「ゆっくりと、のんびりと、ほんわかとした気分で聴ける曲がない」(「最近の歌謡曲について」)。宮川の口調はやわらかで控えめと思えるほどですが「荒廃」ということばすら見えている。いったいどうしてこういうミジメなことになったんだろうか。 <10月9日>
▽発売の度に週刊文春の「本音を申せば」(小林信彦)は目を通しているのですが4月に単行本として刊行された「昭和が遠くなって」(文藝春秋)を改めて読んでみた。時代は2006年度ですが触発されることばかりで一気に読めました。(三國一朗) 夢声 志ん生を2回に分けてつづった「昭和の達人たち」がいいですね、小林は「・・・こういう大人たちを遠くから眺めて育ったのだ」と記しています。志ん生と夢声の「対談」のおおらかさというのか茶目っ気というのかしみじみ可笑しい、よっぽど(人間の魅力の)器が大きかったんじゃないだろうか。今の時代は小器用、小才、要するにタレントばかりじゃないかという印象が強い、もちろん芸能界に限りませんが。志ん生と夢声の対談は「夢声対談集 同行二人」(S25 養徳社)にあります。
▽もうひとつ強烈だったのが「ランキング地獄」というテレビの視聴率ランキングを話題にした章。1970年頃はまだテレビの業界も「・・・ハズカシサというものを心得ていたので、<視聴率をこんなにとったぞ!>と得意になるのはカッコワルい ─ くらいの自覚はあった。」  確かにいい番組、良質のドラマがそのまま高視聴率をとるとは限らない。 いったい「視聴率ランキングは、いつごろから、今のように、おおやけにされたのだろうか」と問いかけています。ランクをつけたデーターをひとつの「権威」づけ(あるいは基準)にしようというのは、「価値を決めるのは自分だ」ではなく他人の評価におんぶするということだというのは全く正論なんでしょうがデーターへの依存は自分の価値基準をすりかえると同時に世界(観)がどんどん狭くなってしまうという怖さもあるんじゃないか。レッテル貼りも同様。
▽最後の章で「これからの東京はもっと壊される」と小林が警告(?)していますが「東京」をほかの言葉に読み替えても違和感がないところが不気味。最近の「本音を申せば」で印象に残ったのが「観客を拒む映画館」(’07 9/20号)、この10年余りで劇場の客への扱い方が変わってしまい「格差興行」(シネコンでは地味な良心作は見ることが出来ない)のスタイルが出来上がってしまい、あろうことかシネコンでは上映途中で入れない(!)などの扱いになっているという。街の映画館というものはもっとザワザワした雰囲気でいろんな世代が混じっていてワクワクしながら銀幕を見つめるもの、というイメージからなんと遠くなったものだろう。もっともシネコンが街の映画館といえるかどうかは疑問ですが。増えていくはずの高年齢層世代向けにのんびり足を運ぶことが出来る名画座が街に欲しいなァとつくづく思います。「テレビをつけたら、とまらなくなった」(「昭和が遠くなって」)と絶賛している「ふんどし医者」(1960 東宝 稲垣浩)などそんな小屋で見ることが出来たら最高でしょう。医者(森繁)の良妻(原節子!)でありながら唯一の趣味が賭場でサイコロをふることだという「とんでもない、つまりは、原節子らしからぬ役」・・・そんなコメントだけで見たくなりませんか。50年代、60年代の邦画群をゆっくり劇場で追体験していきたいというのは夢のような話かもしれませんが。  <10月2日>
2007年10月
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