△ 木皿泉に河野英裕だって・・・懐かしい、そして待ち焦がれていた方の名前が飛び込んできた。ホント? この組み合わせを何年待ったことか。夢のようだな、やっと木皿ドラマに会える。2007年の「セクシーボイスアンドロボ」以来だから3年ぶりということか。<いつの日か>の願いがまさか叶えられるとは思ってもいなかった。ここまでくるともう身内の気分だな。願いの道は続いていたな、今の気分はこれ↓。
またもや消されてしまいました、Don’t wanna cry(安室)だったんですが。
関東地方は16日(土曜)の午後9時オン・エア、日本テレビ 「Q10」。 <10月15日>
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2010年10月
△ ちょっと感動的な文章でしたよ、アナウンサー(キャスターというのだろうか?)の方の随筆ですが『文藝春秋』8月号掲載の「私がラジオを選んだ理由」(小島慶子)。小島は「考えてみれば」と自問自答する、「議論するべき社会問題や感動的なドラマがある一方で、人は地味な日常会話の中で、人生の奇跡や葛藤に出会うものです。・・・(略)・・・『放送』は時として幾億もの日常を取りこぼしながら、画になるものばかり見せてはこなかったか。私たちは知らぬ間に画にならない日常を軽んじてこなかったか。そこにしか自分の人生はないのに。」 例え一瞬で消えてしまう囁きでも「世の中まだまだ捨てたものではない」と元気づけられる人がいるだけで<私>はラジオを大切にしたい。
キラキラした一瞬が目の前をスッと横切った、そんな文章だなと感じましたね。ここに綴られていることは山根基世にも中井貴恵にも早坂暁や向田邦子にもそして高峰秀子にもさりげなく、しかし決定的なものとして貫かれている核心。確かにラジオには何げない出来ごとや平凡な意外性をすくいあげて相手に伝え、聞く人がそれを受けとめ返してくれるところがある。人生訓や思想を語らなくても、新奇なこれ見よがしの映像などなくても共鳴しあう「一瞬」がある。 続 <10月28日>
△ 注目の新刊書 書店には猫や犬などペットの本は結構多く、可愛い、キレイな写真でいろどられていますが「写文集 猫と花」(武田花 講談社α文庫 D70・1 2009年 定価700円)を見つけた。三十数年撮り続けてきた日本各地のネコたち、都会の路地で、港町で、鄙びた地方の片隅で出会った記録の数々。キャプションがこんなに読ませてしまう写真集もめずらしい、「私の寝起きの顔に似ている。谷中あたりの駐車場。」(72ページ)なんて思わず笑ってしまう、文庫オリジナル。 <10月3日>
△ 当サイトにとってはこの方の一本といえば迷わず「遊侠一匹」(加藤泰 1966)ですが田中小実昌は「花影」(川島雄三 1961)をあげている、「あなたにあいたくて、なんどもこの映画を見にいきました」(「猫は夜中に散歩する」(旺文社文庫 ちくま文庫版「田中小実昌エッセイコレクション4 おんな」所収)とあります。<あなた>とは池内淳子。田中の「池内淳子様」というタイトルの短文は何度読んでもいい感じだ、綴られた当時は池内淳子讃でしたが今は追悼文として迫ってくる。TVドラマの小料理屋のママと酔っ払いの客という役で一度だけあなたにおめにかかっていると書いている。たまにドラマにでると有名な女優たちが気を使ってくれるがどうも「見え見え」のところがある、しかし<あなた>はたいへんに自然で、お世辞らしい口をきかないけど、ほんとに気持ちよく、それに、なにかキョトンとしている。」 キョトンというのがいいjですね、田中が見ているキョトンというのはことばでは説明しにくいのですが分かるなあ。しかし、田中小実昌その人もキョトン型人間ではなかろうか。 <10月3日>