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2011年1月
備忘郎のようなもの 番外編
元旦の朝いつものように新聞に目を通して外へ出た、空を見上げると青に薄くにじむような白い雲、前日読んでいた文庫のなかに「人はかなしい時にしみじみと空を見るようである」ということばがあった、ホントそうだな。
松山善三のことばを聞こう。
http://www.youtube.com/watch?v=rzuMhliKiRo&feature=related へのリンク
時の流れのなかで明日を探すしかないか、木皿ドラマと同じにおいが聴こえてくる。
http://www.youtube.com/watch?v=xBH0ebSdADQ&feature=related へのリンク
他にいくつかリンク先をあげましたが残念ながら削除されました。
<元旦>
明日のにおいがする
時間が経つにつれ浮かんでくるのは柳教授。最近これほど魅力的な人物はちょっと思い出せないドラマ「Q10」の柳栗子教授。「明日のにおいがする」とつぶやいたのはこの人なのですが柳教授こそ明日の最前線に立つ人ではないか。柳教授だけでなく校長先生や平太のお父さん、日常だらけの小川しげ(柳教授にないもの・・・「家でご飯かぁ、久しぶりだなぁ。」)たち、出てくる大人がみんないい。屈折してるくせに健気で埋没していないって感じ。
シナリオで初めて登場してくる柳教授はこんな感じだ、「サングラスをかけた柳栗子が、ガッシガッシ、餃子を食べている。」(「ドラマ」15−16ページ 2010.12)。
何か凄いでしょう。もちろん第1話の最初の方で出てきますが柳教授の周りは吹いている風が違うのだ。だからもう一人のこれまた魅力的な月子(ひんやりしたちょっと悪意を感じさせる人物)が妙に気になってくる。
柳教授そして月子 ─ このふたりはあるいはポジとネガなのかもしれませんがドラマのなかだけで終わってしまうのではなく明日はここから立ち上がってくる、そんなスケールというのかいつまでも消え去らない魅力を感じさせる。
木皿ドラマは背負いきれないまま立ちすくんでいる若い人から目を離さない、「死んでしまえと思った」「消えてしまいたい」「声出してなじれよ!」─これまで以上に激しい、土俵際に追いやられてギリギリ踏みとどまっているような場面のリアルなこと。それだけにこのどうにも突破口が見つけだせない重苦しさに覆われている時代の<明日の方角>をドラマ「Q10」は指し示しているのではないか。スローモーションのようなたどたどしい印象ですがそんな想いが湧き上がる。
さて、木皿ドラマ「Q10」(全9話)の第5話の導入部をリンクしておきたい、独立した一編としてもその独特のタッチを追うことができると思うからです。「期間限定」とあり1話から通して見ることもできるようですがまだ出会えていない方のために。
残念、リンク先は削除されました。 <1月5日>
ヘコんだ時には「リフォーム・スペクタクル」
ブルーな気分の時やちょっとヘコんだ時にスコーンと突き抜けるような本を読みたい、そんな気分の時おいでおいで≠ニ手招きしてくれるのが「リフォーム・スペクタクル」(読売新聞社 1998年 渡辺眞子)。最初読んでハマり、あまりの面白さにあるいは過大評価をしてるのかなとも思ったのですが二度目に読み直してやはりこの本は半端じゃないと当サイトにもアップしたのですが、それほど評判になったという話も聞かない。今年になって(ですからつい最近)何度目かも覚えていないほどの再々読となったわけですが、やっぱり当サイトの評価は変わらない。リフォームの一部始終を追っただけなのに鷲づかみにされる。泣きたいくらいにおかしい。この点については保証書付きですね、この本を笑わないで読み通す人なんて・・・いるんだろうか。図書館などで目にしたら読んでみてください、読みだしたら止められないから。
著者も書いている─「もしこれがよその家の出来事だったら、私は楽しくて大喜びで、毎日見学に通ってしまう。だってこんな家あります? 九回めの長期の補修工事の補修工事がやっとの思いで終わって、やれやれ、最後の職人さんたちが帰ったわずか五分後に、天井から水が漏ってくる。その数日のうちにあっちの建具の扉は閉まらなくなり、こっちのドアはドア枠にこすれ、ささくれだって・・・」(221ページ)、ね、凄いことになってるでしょ、でもこの部分はほんのサワリ。一つの工事が終わると連鎖して直さなければならない工事が付いて回る、工事の人に悪意があるわけでもぶったぐりの悪徳業者に引っかかったというのでもない、ま、一応は普通の業者のようなのだが、どっこいマヌケで思い込みが強い、ヘコまない明るさを身上とする面々がこれでもかのオンパレード。著者マコさんはたまりかねて叱責するのだがその一方で抱きしめて励ましてあげたくなるような気持ちに襲われると書くほどの好人物ばかりなのだ。
お客さんが集まりリフォームのダイジェストを披露すると「一同、いつまでもわははは¥態が止まらない。」さらには雪崩のような大爆笑に突入するとある(142ページ)。ここのところ、老若男女はもちろん国籍も問わない普遍性で受けまくるというところ、圧巻でしょ。根っこのところでオカシサの芽が次から次へと生まれ広がっていくのだ。何度も様子を見にくるお友達のリクさんは「ねえ、その人たちって、お豆腐に釘ね」(220ページ)とあきれている、訪れる度に今度はどんなエピソードが聞けるかな、ワクワクしてピンポーンとチャイムを押したりしたんだろうね。
この本はどうしてこんなに人を引きつけるのか、マジメにやっているつもりがいとも簡単にズッコケ、不条理に転変していく、日常にはそんな隙間がある、誰にでもある。私たちの日常って平凡で何も起こらない毎日でもこの不条理といつ出くわすか分からない。きれいごとや教訓ではどうにもならないもの。階段を一段づつ上がっているつもりが意に反して下がっていったりヨロめいたりころげ落ちたり、人にこづかれたり。この本は不条理へ化ける細部が会話を通して再現されているから実にスリリング、そして画が次々と浮かんでくる。例えば照明器具のカバーを外しているはずなのに天井もメリメリと剥がしてしまうから映像がすぐ浮かぶ。「私の部屋にはエアコン付けないで」と言っているのにその日の夕暮私の部屋には新型エアコンが取り付けられていてソヨソヨ冷風が吹いてたりする、目が点になる。当サイトは映画だったら山中貞雄か木下恵介に読んで欲しかったと心底思いましたね。どのトラブルも映像になっていて、マコさんと業者のやりとりなんて一瞬の間(マ)があってホントだおかしなことになってる≠ニ落ちがくる。このスキ間というのかズレが一瞬ストップモーションになり、再び動き始めるあたりが応えられない。
次から次へ出てくる人がちゃんと自分の顔があって借り物ではなく自分のことばで喋っている、そこらあたりは結構だけれど人のハナシをちゃんと聞かない(本人は聞いてるつもり)、思い込みが強い、段取りが悪いなどどうにも手につけられない。
それにしてもよくぞマコさんとその家族はこのスペクタクルに耐えたものだ。周りが怪現象で覆われるとマコさんの普通さがキラキラ輝いてくるのは止めようもない。リフォームの一応のエンディングにこう記すのだ。
「生きてゆくのは、こういう積み重ねかもしれない。悲しかったりつらかったり、不条理と思われることばかりが多くて、でもほんのちょっとだけいいことがあれば、また明日も生きていける。人間はそんな健気な生き物だと思う。」そして「・・・今この家を、私は好きになりはじめている。」(254−255ページ) 後光が差したかと思われるほどの頬笑みがマコさんに宿るのだ。
この本とはもう長いつきあいなのに未だに分からないのです、どうしてこうも魅了されるのか。見当をつけたつもりでももっと何かありそうだという気持ちになる。価値(感)がひっくり返るような、正と負がパタンパタンと入れ替わるあたりにおかしさに通じる秘密の扉が隠れているのかな。
ともあれ、またいつか必ず再びこの本を手にすることだろう。何度も何度も読み返したくなる不思議。世の中捨てたもんじゃないというだけでも明日は近づいてくる。 <1月22日>